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更新日:令和2(2020)年3月5日

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19.九十九里の地曳網漁と海岸リゾート

九十九里の砂浜を舞台とした伝統的な漁業と避暑・行楽

日本一の砂浜「九十九里海岸」

 銚子の屏風が浦から太東岬まで、延長約66kmにおよぶ弓状の海岸線は、日本最大の規模の砂浜として知られ、そのおだやかで雄大な景観は、明治時代から避寒・避暑の行楽・別荘地として愛され、多くの文人・画家が訪れています。芥川龍之介が、大正3年(1914)と5年に滞在した一宮町には、芥川荘(国登録文化財)が遺されています。現在も、九十九里浜の美しい砂浜は、夏の海水浴、スポーツ合宿などを中心にリゾート地として人気を得ています。

関西漁民の房総出漁と地引網漁の盛況

 かつてこの砂浜には、延々とイワシ漁に使われた長大な網が干される風景が広がっていました。約400年前、江戸時代の初め、関西の農村では綿・菜種油などの商品作物の栽培が増え、肥料として、イワシを乾燥させた干鰯(ほしか)や、イワシを煮て魚油を絞った残りの〆粕(しめかす)が大量に使用されるようになります。先進的な漁法と、その加工法を持った関西(大阪府、和歌山県)の漁民は、その漁場を東に広げ、関東(神奈川県、千葉県)へと進みます。はじめは、関西からの旅網(たびあみ)と称する季節漁が中心でしたが、消費地が関東にも広がるのに伴い、しだいに地元へと定着し、地元漁民による漁業へ進みます。イワシが押し寄せ、遠浅で砂浜の続く九十九里海岸は、地曳網の漁場として、また干鰯の加工場として最適の場でした。2艘の船は沖合で長さ2kmにも及ぶ長大な網を広げ、波打ち際まで引き寄せる、浜では100名を超える人々が待ち受け、網を引き上げ、イワシを浜に積み上げるという大地曳網漁(おおじびきあみりょう)が繰り広げられました。豊漁に沸いた天保年間(1830-1834)には、九十九里全体で200張もの地曳網が営まれました。イワシは、豊・不漁の激しい魚種のため浜は盛衰を繰り返しますが、明治時代まで地曳網は主要な産業として続きます。こうした地曳網漁とその加工に使われた様々な道具は、県立安房博物館の「房総半島の漁撈用具」として国指定重要有形民俗無文化財となっています。また、九十九里の海岸沿いには、江戸時代、地曳網漁によって作られた納屋集落(なやしゅうらく)の面影を残しています。

九十九里浜と納屋集落

九十九里の海岸線

地曳網漁絵馬

地曳網絵馬

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