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更新日:令和2(2020)年3月5日

03.「千葉港」と「千葉の湊」

全国有数の貿易港と鎌倉・室町時代の水上交通の拠点

世界に開かれた千葉港

 東京湾奥、市川市から袖ケ浦市まで、海岸線総延長約133km、日本一広い港が千葉港です。平成16年度の貨物取り扱い量は1億6千9百25万トン、1億7千2百28万トンの名古屋港に次ぐ全国第2位を誇っています。平成17年度の統計では、貨物取り扱い量1億6千5百71万トンのうち、9千7百50万トンが海外貿易貨物で、まさに日本と世界をむすぶ重要な貿易港としての役割を果たしています。

都川の水運と千葉の湊

 現在の千葉港は、明治43年(1910)に、都川の河口部分を浚渫し、その残土で周辺を埋め立て建設された寒川港に原点があります。都川河口付近には、江戸時代に遡ると、登戸浦、曽我野浦といった湊が存在し、都川の水運で運ばれた物資を、江戸へと船で運ぶ拠点となっていました。それ以前、室町時代の様子は明らかではありませんが、鎌倉・室町時代の千葉の様子を伝える『千学集抜粋(せんがくしゅうばっすい)』には結城浦という湊の名が残されています。結城浦は都川河口の入り江にあったようで、室町時代の千葉の市場(市場町付近)と都川でむすばれ、「千葉の湊」としての役割を果たしていたと考えられます。

千葉湊の起源

 千葉の湊から西へ東京湾を渡った相模国金沢(現在の横浜市金沢)の称名寺には、鎌倉時代の千葉寺や千葉の大日堂で書写された仏教関係の文書が多数残されています。千葉寺は、千葉の町並みの南に位置し、奈良時代に創建され平安時代末期の経塚(きょうづか)がある古刹で、大日堂は町並みの北端に位置し千葉氏の墓所があった大日寺です。このように、千葉の寺々で写された文書が、東京湾対岸の金沢称名寺に多数残されているのは、僧侶が東京湾の水運を使って金沢と千葉の間を頻繁に往来していたためと考えられ、鎌倉時代後半には、都川河口付近の結城浦(千葉の湊)が海上交通の拠点としての役割を果たしていたと言えるでしょう。そして、南北朝時代には、千葉の湊を起点に金沢称名寺へと年貢を運んだり、江戸の隅田(現在の東京都隅田区)と行き来があったことを示す記録も残されています。

 現在、ポートタワーが聳え、世界各国へとつながる「千葉港」の原形は、千葉の町並みと都川の水運でむすばれ、鎌倉時代には作られていたのです。

千葉市都川河口付近

千葉港中央地区・都川河口付近

千葉寺経塚

千葉寺経塚の経筒と鏡、青白磁

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