ここから本文です。

ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > その他の文化資源 > ふさの国 今昔 -過去から未来へ- > 29.東京湾アクアラインと押送船(おしょくりぶね)・五大力船(ごだいりきせん)

更新日:令和2(2020)年3月5日

ページ番号:314554

29.東京湾アクアラインと押送船(おしょくりぶね)・五大力船(ごだいりきせん)

古代以来の東京湾交通

自動車で東京湾を横断

 東京湾アクアラインは、千葉県木更津市と神奈川県川崎市をむすぶ自動車専用道路です。全長は15.1km、木更津側4.4kmは橋梁、川崎側9.6kmは海底トンネルとなっています。海底トンネルは、水面下約60m(最深部)に掘られ、海底の道路トンネルとしては世界最長を誇ります。

 平成9年12月18日、東京湾アクアラインの開通によって、木更津・川崎間は、距離約30km、所用時間は約30分、それまでの約3分の1に短縮され、東京・神奈川と房総各地は短時間でむすばれ、東京湾アクアラインは、千葉県南部の産業・商業、観光を支える重要な道路となっています。

古代以来の東京(江戸)湾交通

 明治時代以降、首都圏の道路・鉄道網が整備されるまでは、東京(江戸)湾は、都市・鎌倉や江戸と房総各地をむすぶ交通の大動脈としての働きを果たしてました。その歴史は、縄文時代まで遡り、南北朝・室町時代には古戸津(ふっとのつ)(富津)と横浜市六浦(むつうら)との間で、盛んに船の往来が行われ、房総の産物が多数、六浦の港に運ばれ、さらに鎌倉へと運ばれていたと考えられます。その結果、房総南部には、岩穴に作られた鎌倉の墓の形式・ヤグラ館山市千手院ヤグラ等)が南房総各地に多数残され、六浦称名寺(しょうみょうじ)の審海(しんかい)が使った仏具(仏教儀礼のための用具)が、館山市小網寺にも残されています。

 そして、江戸時代、江戸湾交通の花形となったのが、木更津市木更津や館山市那古等を起点として活躍した五大力船(ごだいりきせん)と押送船(おしょくりぶね)です。五大力船の名は「五大力菩薩」という仏の名に由来すともいわれる貨客船で、船の長さ約20m、積載量15t前後の中型帆船で、江戸市中の川筋や上総の遠浅の海を航行できるように、吃水が浅く作られている点が特徴です。房総で作られた薪炭や米が、五大力船で江戸に運ばれるとともに、房総と江戸を往来する人々も運んでいました。一方、押送船は、鮮魚を専用に運ぶ、帆と櫓を併用する快速船です。房総各地で水揚げされた鮮魚が、押送船で江戸日本橋の魚河岸へと運ばれ、その魚は、江戸の武士や江戸っ子の食膳へとのぼっていました。

 五大力船と押送船は、まさに、房総と江戸をむすぶ物流の大動脈であり、東京湾アクアラインに匹敵する水上交通網であったと言えるでしょう。

木更津の街並みと五大力船

安藤広重が描く木更津の町並みと五大力船

東京アクアラインと海ほたる

東京湾アクアラインと海ほたる

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?