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更新日:令和6(2024)年3月15日

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「ちば文化的景観」(6)風光明媚な海山と古寺、城のゾーン

風光明媚な海山と古寺、城のゾーン

1.茂原市茂原の六斎市(ろくさいいち)の景観

茂原市茂原の六斎市の景観六斎市は、江戸時代の初期、徳川家康の家臣・大久保忠佐(おおくぼただすけ)によって、茂原(毎月4日・9日)、本納(1日・6日)、長南(2日・7日)、一宮(5日・10日)、大網(3日・8日)の5ヶ所で開かれたのが始まりとされており、東上総地方の重要な交易の場となっていた。現在、茂原の六斎市は、かつては本宿(本町)、新宿(昌平町)、新町(通町)の3ヶ所で行われ大いに賑わったが、昌平町のみで行われ、往時の賑わいを偲ぶことができる。

2.勝浦市鵜原・興津・浜行川等の漁村景観

勝浦市鵜原・興津・浜行川等の漁村景観勝浦市鵜原から行川にかけては、海岸線に切り立った崖が続く風光明媚な景観が広がる。勝浦市守谷(もりや)の海蝕洞穴(かいしょくどうけつ)・こうもり穴遺跡から多量の3世紀頃のアワビ殻が多量に出土しているように、ここでは古くからアワビ漁等を始めとする磯での漁業が盛んで、松部(まつべ)、鵜原(うばら)、興津(おきつ)、浜行川(はまなめかわ)、吉尾(よしお)の入り江の奧には、山を背負った漁村集落が営まれ、現在も沿岸漁業の拠点となっている。

3.勝浦市勝浦漁港と朝市景観

勝浦市勝浦漁港と朝市景観勝浦漁港は、現在、県内第2位の漁獲量で、特にカツオ漁については、三重県、宮崎県、高知県といった他県からの漁船も多く寄港する基地である。カツオの水揚げは全国有数である。また、勝浦市内で開かれる朝市は、天正18年(1590)にこの地の領主となった植村泰忠(うえむらやすただ)が始めたもので、明治時代以降、毎日開かれるようになり、海や山の幸が賑やかに取引されている。

4.いすみ市夷隅川中流の山城と水田景観

いすみ市夷隅川中流の山城と水田景観夷隅川は、勝浦市の山中に源とする、県内最大の流域面積を誇る二級河川である。中流域のいすみ市内、周囲を丘陵に囲まれた広々とした水田景観が広がる。ここは、古代以来、開発が進められた地域で、古代寺院の法興寺(ほっこうじ)、鎌倉・室町時代の荘園跡も残されている。特に、戦国時代には、平野の周辺の丘陵部に土岐(とき)氏の万喜(まんぎ)城跡(じょうあと)、日本画の狩野派の祖・狩野正信(かのうまさのぶ)の出身地とされる大野城跡などがある。天然記念物のミヤコタナゴの生息地でもある。

5.いすみ市内の槇の生垣集落の景観

いすみ市内の槇の生垣集落の景観の説明旧岬町から旧大原町に通じる旧街道沿いを中心に、いすみ市内には、屋敷の周囲を槇の生け垣で囲んだ沿道景観が多く残されている。太平洋からの強い風を防ぐためや防犯上に作られたものであると思われ、安房地域の槇の生け垣集落の景観とともに、地域の生活を象徴する伝統的な文化的景観である。

6.長南町坂本の蓮田景観

長南町坂本の蓮田景観長南町には一宮川の支流・三途川(さんずがわ)や埴生川(はぶがわ)が流れ、奥行きのある谷が多数作られている。この谷の谷津田に作られているのが蓮田で、長南町は県内最大のレンコン生産地となっている。この地域の蓮田栽培の歴史は古く江戸時代にさかのぼるが、本格的なレンコン栽培は昭和45年(1970)以降で、特に蓮田が多い長南町坂本地区では、夏の緑の木々に囲まれた谷津田にピンクの蓮の花が開く光景がひろがる。

7.長南町笠森寺・睦沢町妙楽寺(みょうらくじ)・一宮町東浪見寺(とらみじ)と自然林の山寺景観

睦沢町妙楽寺の森笠森寺は平安時代初期の創建と伝えられ、妙楽寺・東浪見寺には平安時代の仏像が残り、いずれも房総を代表する古刹(こさつ)である。これらの寺は房総丘陵内にあり、周囲には寺の聖域として守られてきた自然林が残され、古代以来の山寺の清浄な景観を体感できる。(写真は妙楽寺の森の遠景)

8.大多喜町大多喜城の城下町景観

大多喜町大多喜城の城下町景観大多喜は、天正18年(1590)、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだただかつ)が10万石で大多喜城に入ったことを契機とし城下の整備が行われ、城の東側の街道に沿って商家、茶屋、旅籠などが軒を連ね、根小屋七町と呼ばれる城下町が成立した。現在も、直角に曲がる街路や重要文化財の渡辺家住宅など、江戸時代の雰囲気が町並みの随所に残されている。

9.御宿町御宿の海岸景観と月の沙漠・ドンロドリゴ上陸地

御宿町御宿の海岸景観と月の沙漠・ドンロドリゴ上陸地網代湾に面して延長約2kmの広い砂浜があり、澄んだ海と白い砂浜、その背後の緑の丘陵が一つにまとまって美しい景観を形作っている。大正2年(1912)、鉄道が開通して以来、海辺の砂浜は、海水浴場として賑わうようになり、現在も多くの海水浴客が訪れ、観光地としての新たな景観が生まれている。この砂浜は、大正12年(1923)、加藤まさをが童謡「月の沙漠」を作詞した舞台としても知られ、砂浜には海に面し王子・王女の像が建てられている。

また、岬をへだてた東側の海岸は、慶長19年(1609)、メキシコに帰る途中の前フィリピン総督・ドンロドリゴが遭難し、地元の人々に救助された所で、日本とメキシコの国際交流の起点となった場所である。

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所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

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