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更新日:令和2(2020)年3月5日

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「ちば文化的景観」(5)九十九里浜(海岸平野)と地曳網漁・水産産業のゾーン

1.銚子市の醤油醸造景観

銚子市の醤油醸造景観銚子の醤油醸造は、元和2年(1616)に田中家が始めたとされ、野田と同様、利根川の水運に恵まれ、その後、発展を続けることになった。明治時代には、総武鉄道が開通すると、銚子駅周辺に新たな市街地が作られ、その外側に醤油醸造工場が展開し、現在に繋がる醤油醸造景観が成立した。現在も醤油醸造に関連する歴史的な建物群と近代的な醸造工場が共存する独特な景観を見ることができる。

2.銚子の漁港景観

銚子の漁港景観利根川河口に位置する銚子港は、江戸時代には利根川水運の商業港として栄えたが、明治時代以降、漁業の近代化にともない漁港へと発展、周辺には水産加工の工場群も整備された。現在では、漁港と鮮魚市場、さらに水産加工団地を備えた漁業基地の景観がつくられている。

3.東金市東金の溜め池(八鶴湖・雄蛇ヶ池)と九十九里平野の水田景観

東金市東金の溜め池(八鶴湖・雄蛇ヶ池)と九十九里平野の水田景観八鶴湖は面積3万5000平方メートル、約400年前に灌漑と東金市街の防火のために作られた溜め池である。谷あいの風光明媚な地であり、その風景は江戸時代以来、文人に親しまれている。雄蛇ヶ池も約400年前に灌漑用に築かれた溜め池で、面積は20万700平方メートル、尾蛇(おじゃ)と呼ばれた谷に作られ、大蛇にまつわる伝説も伝えられている。現在は、ともに九十九里平野の水田景観を支える貴重な灌漑用水源である。

4.旭市椿海と干潟八万石の水田と農村景観

旭市椿海と干潟八万石の水田と農村景観現在の旭市内には、江戸時代初期の17世紀までは太田の湖水・椿海(つばきのうみ)と呼ばれた湖が存在していた。これは、九十九里浜北部に出来た入り江が淡水湖となったもので、その規模は東西12km、南北6km、全体の面積が51平方キロメートルに及ぶ巨大な湖であった。寛文8年(1668)、幕府の許可を得て、椿海の排水工事を実施、干拓を行い成立したのが干潟八万石と呼ばれる新田で、萬力(まんりき)、鎌数(かまかず)、入野(いりの)村などの新田村18ケ村が成立している。この干潟八万石は、その後の灌漑用水の整備により、現在も九十九里平野の重要な穀倉地帯としての役割を担っており、秋には見渡す限りの黄金の稲穂が稔る広い水田の中に島のような集落が点在する風景を見ることができる。

5.山武市の山武杉のある景観

山武市の山武杉のある景観山武市周辺の台地に展開する杉の植林で、九十九里平野に面し、緩やかに起伏する台地に、青々とした杉の植林が広がる景観が作られている。この地域の杉の植林は、九十九里浜の鰯漁で使う材木を確保するために江戸時代に始まったとされ、漁業と密接に関わる歴史を持つ。

6.多古町栗山川流域の谷津田景観

多古町栗山川流域の谷津田景観鮭がさかのぼる川としても有名な栗山川は、縄文時代(5000年前頃)の大きな入り江の跡で、その後、九十九里浜平野の堆積が進む中、栗山川流域には広大な平野が作られた。現在は、「多古米(たこまい)」を生産する穀倉地帯となっている。また、栗山川流域の低地からは、縄文時代の丸木船が多数発見されているとともに、弥生時代以降、多くの遺跡が残されている。

7.九十九里町・白子町の納屋景観と地曳網漁

九十九里町・白子町の納屋景観と地曳網漁戦国時代(16世紀)の末期に、紀州(和歌山県)から伝えられた地曳網は、広大な砂浜が広がる地形を生かして発展し、また、鰯漁が盛んに行われ、鰯を干した干鰯(ほしか)は、藍(あい)などの肥料として多くの需要があり、九十九里を含めた外房は全国的な干鰯の一大産地となっていた。江戸時代の最盛期には、海岸近くに地曳網を入れる納屋が砂浜に建てられ、それが集落へと発展し、現在も白子町や九十九里町の海岸付近の地名などにその名残が残されている。

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