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更新日:令和7(2025)年12月3日
ページ番号:808933
高校生区分
千葉県知事優秀賞
筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部2年
岡田 実優(おかだ みゆ)
「聴こえるのが普通」「自分は異端な存在」ということを物心ついた時から、漠然と理解していた。私は、生まれつき聴覚障害を抱え、家族の中で唯一のろう者だった。幼い頃から、ろう学校に通い、同じ境遇の仲間たちに囲まれて安心できる環境で生活していた。手話で意思疎通ができ、互いの気持ちを共有できるろう学校は、私にとって数少ない居場所だった。しかし、健聴者と触れ合う機会がほぼ無く、もとから消極的な性格ということもあり、私はろう学校という殻に閉じこもるようになってしまった。健聴者との関わりが少ないため、会話を交わすことに恐れを抱き、声が詰まってしまうこともしばしばあった。次第に、「私は特別な環境に甘えているだけではないのか」という気持ちが胸の奥に積み重なっていった。社会に出るためには、健聴者との会話経験を積む必要がある。そんな私に機会をくれたのが、中学部の支援籍での地域の中学校との交流だった。それは、私にとって衝撃的な体験の連続だった。そこでは、みんなフレンドリーで、休み時間では私の机まで来て筆談で話しかけてくれたり、昼休みに私の手を引いて校庭まで連れて行ってくれたりした。時には過剰に思えるほど親切にしてくれることもあった。ここなら私でも健聴者の友人ができると期待した一方で、どことなく居心地の悪さを感じている自分がいた。それもそのはず、この交流は一学期に一度だけで、日常的に関わり合うことができないからだ。私は自分の素を見せられず、相手も私に対して普段とは異なる対応をしていた。お互い一学期に一度しか会わない関係では、距離感がぎこちなくなるのも当然だった。
何度も交流を重ねていくうちに私は少しずつ学んだ。健聴者と接することは恐れるべきことではない。しかし、無意識の遠慮が見えない壁を作り、自分の臆病さが知らないうちに相手との距離を生むことを理解した。
高校一年生の時。私は様々な障害のある人とない人が触れ合う交流会に参加した。「私も会話に混ぜて欲しい。」「一緒に行こう。」と、そう思いながらも、迷惑ではないかと考え、諦めてしまう自分がいる。会話に混ざるためには筆談を用いなければならない。しかし、それでは会話の流れを止めてしまう。ここは交流会で、相手は交流するために来ているのに。それを分かっていても、自分の気持ちが伝えられないもどかしさと、会話についていくことができない孤独感。これらは何度経験しても慣れることはないだろう。耳が聞こえにくいだけで、これほど会話に制限がかかるのかと痛感し、落胆した。それと同時に、自分自身で余計な壁を作っていることにも気づいた。それから何度も話しかけることに挑戦したが、壁は想像以上に分厚く、徒労に終わった。交流会も終盤に差し掛かり、諦めようとしたその時。グループの一人が、私の手をとって、
「一緒にやろう。」
と笑顔で誘ってくれた。周囲の仲間たちも自然に輪に入れてくれて、筆談だけでなく、ジェスチャーや笑顔で思いを伝え合うことができた。仲間たちからしたら、些細なことだろうが、私はその時に、初めて「自分の存在は迷惑ではない」と心から感じることができ、胸の奥にあった不安と遠慮がふっと軽くなった。
「障害者」と「健常者」の間に生まれがちな見えない壁は簡単には壊れない。壊したいと思っていながら、率先して壁を作っているのもまた、自分自身なのだ。では、どうして見えない壁を作ってしまうのか。それは、健常者と障害者が日常的に触れ合う機会が少ないことにあると考える。現在、障害の有無に関わらず、全ての子供が同じ環境で学べるインクルーシブ教育が広がりつつあるとはいえ、それもまだ十分だとは言えない。ろう学校には、個々のニーズに合わせた教育を受けられることや、同じ境遇の仲間と過ごせるという利点がある。一方で、知り合える人の範囲は圧倒的に狭く、経験できることも限られている。もし、幼い頃から多様な人々と関わる機会があれば、人間関係において戸惑うことは少なかっただろう。
それでも、交流の中で少しずつ学んだことがある。相手を変えようとするのではなく、自分から一歩を踏み出すことの大切さだ。私は解散する前に思い切って言った。
「次も一緒に交流できたら良いな。」
すると、相手は笑顔で応じてくれた。それだけで胸が温かくなった。こうした経験は、私にとって大きな希望となった。
今の社会は、「障害者」という言葉に過剰に反応するあまり、かえって障害者と健常者を分け隔てているようにも感じる。本来、人は障害の有無に関わらず助け合える。自分ができることは自分でこなし、相手ができないことは補う。こうしたお互いの歩み寄りによって、見えない壁も少しずつ薄れていき、最終的になくなっていくのではないだろうか。
大切なのは、障害者を「助けられる存在」、健常者を「助ける存在」といった固定的な役割に押し込めないことだ。一人ひとりを同じ人間として尊重し合い、違いを受け入れていく。違いがあるからこそ補え合え、互いにないものを学び合える。その積み重ねが誰もが生きやすい社会を築いていくだろう。
私たち障害者も、ただ助けてもらう存在ではない。自分の思いや考えを発信し、社会に伝えていく責任がある。だから私は、臆して壁の後ろに隠れるのではなく、小さな一歩を踏み出し続けたい。交流の中で抱いた戸惑いや不安さえも自分を成長させる大切な糧であると信じながら。私の一歩が誰かの一歩に繋がり、共に生きる未来を作る。そう、願っている。
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