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更新日:令和7(2025)年12月3日
ページ番号:808916
中学生区分
千葉県知事優秀賞
御宿町立御宿中学校3年
松﨑 みちる(まつざき みちる)
私の伯父は知的障がい者だ。知能は小学校一年生程度だそうだ。小さい頃、私はこの伯父のことが好きだった。明るく気の良い人だと思ったから。
ただ、他の人も成長した私も、どこか壁を作って話していた。心のどこかで「言ってもどうせわかってくれない。」「みんなと同じようには話せない。」という偏見や諦めを持ち接していた。買い物支援に一緒に行っても落ち着いて行動ができない。銭湯では知らない人に友達のような距離感で話しかけ、トイレでは一人で歌舞伎のまねごとをして大声で喋りだす。一度、私と母、伯父だけで飲食店へ行った。「トイレに行く」と言った伯父が十分たっても帰ってこなかった。心配になりトイレのドアの前まで行くと外まで聞こえるほどの歌舞伎調の大声と、それに対して「うるさい」と怒鳴っている男性の声を聞いた。私はそれを聞いて、悲しくなった。その反面、そう怒鳴ってしまう男性の気持ちも十分に理解できてしまった。この一件以降、自分たちと伯父との向き合い方に確かな違和感を覚えるようになった。
その違和感を解決してくれたのは、伯父が入所している障害者福祉施設の人達と父の対応だった。
伯父が入所している施設は、知的、精神の障がいを持った人たちで同じ家で暮らす施設だ。伯父の送り迎えなどで行くと、手を振ってくる人がいたり不思議そうに見てくる人がいたり、話しかけてくる人もいる。私は正直、少し怖かった。自分たちとはどこか違うような人たちだと思った。しかしそこの施設の人達は笑顔で対応し、言う事やる事否定せずに対等に向き合っていた。そんな人たちを見て自分が恥ずかしくなった。
父も伯父と対等に向き合う人の一人だった。「どうせできないんだから」と勝手に諦めている私と違って父は文字や計算に加えて気持ちの整え方、伝え方など真正面から向き合っていた。父によると、
「当たり前だけどあの子だって感情がある。嫌なことがあれば怒る。悲しいことや辛いことがあったら泣く。楽しいことや嬉しいことがあれば笑う。」
この言葉を聞いて私はハッとした。父は同時にこうも言っていた。
「自分たちにだってどうしても治せないダメな部分もある。自分たちにはそれが個性として認められて、あの子には認められないなんてことはおかしいことだ。」
確かにそうだ。私も物忘れは多いし空気も読めない。それが「個性」ならば伯父は?なぜ「障がい者」とされ壁を作られるのだろう。私たちはまず相手を対等に見ていなかった。心のどこかでは諦め、見下してまでいた人もいただろう。だが相手も同じ人間であり、個性が行き過ぎてしまっただけだ。伯父のいる福祉施設では障がい者達でクッキーをつくって販売する取り組みもある。私はそのクッキーが幼いころから好きだった。素朴な味のきれいな型でつくられたクッキー。障がい者の人達が何もできないわけではないし、仕事だってできる。私はなぜそのことを忘れてしまっていたのだろうと思った。
伯父はただ、人との距離感を掴むことが苦手で、一つのことに集中することが苦手で、歌舞伎が真似したくなるくらい好きで、悲しいことがあったら泣いて、クッキーを作って売っているだけの立派な人だ。
ただ、昔の私のように障がい者と壁を作り偏見を持ち真っ向から向き合えない人が多いと思う。そんな人たちを私は否定出来ない。けれど施設の人達や父のように障がい者と私たちをつなぐ架け橋のような人たちがいる。そんな人たちを尊敬するし、完璧にできる自信はないけれど、私も真正面から真摯に向き合い、いつか架け橋になれたらなと思う。
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