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更新日:平成27(2015)年8月27日

内陸防風保安林のはなし

意外に多い内陸防風保安林

部林業事務所管内には263ヘクタールの防風保安林がありますが、全体の83パーセントに当たる217ヘクタールが下総台地の畑作地帯にある内陸防風保安林です。

内陸防風保安林成立の歴史的背景

陸防風保安林の成立は、開墾と密接に関係しています。

葉県の下総台地には、江戸末期まで軍馬の放牧地(牧と呼ばれます。)が広がっていました。明治に入り、旧武士階級の職探しに新政府は対応を迫られます。そこで、徳川幕府が管理していた広大な牧を開放し、東京に住んでいた窮民や旧武士達に開墾させ、畑に変えて農作物を生産させる事業を計画したのです。
この開墾事業により、明治2年から5年にかけて、約8千人の人々が13の入植地に移り住んだと伝えられています。

13の入植地のうち、現在、内陸防風保安林があるのは3つです。今の八街市(やちまたし)、富里市、成田市の3地区で、当時の字名はそれぞれ八街、十倉、十余三(とよみ)と命名され、字(あざ)名が後に村名となりました。
在の成田市三里塚地区、旧十余三村には旧宮内庁御料牧場がありましたが、成田空港の建設計画に伴い昭和44年に閉場し栃木県那須へ移転しました。
て、本題の内陸防風保安林ですが、それが形を成すのはしばらく時代を下ってからのことです。

下総の気候と土が防風林を必要とした

八街市の防風保安林

在の内陸防風保安林のうち、最大規模は八街市に広がるもので、内陸防風保安林全体の83パーセントに当たる179ヘクタールに上ります。

街市の内陸防風保安林は、同市の南部地区(四木(しもく)、滝台、山田台、沖の4地区)に集中して配備されています。

この地区は明治の入植時代以降,旧佐賀藩鍋島家の所領でした。昭和15年,この地を鍋島家より千葉県が買い受け、県営自作農創設開発事業として開畑と耕地整理を行い、多くの入植者を募って食糧増産体制の基盤を整備しました。

ころが、八街市を含む下総台地の風土は農作物の生育に優しくありません。
下総台地は1年中風が強く、特に春先の南西風は時に風速20m/sにも達します。農耕地の土壌は、富士山噴火による火山灰が厚く堆積した黒ボク土と呼ばれるもので、粒径がとても細かいために風によって移動し易い特性があります。加えて、風のため乾燥しがちとなります。
お、当時の主作物は麦であったため、ことさら風による倒伏を受けやすかったと言われています。
そこで、当時の入植者たちは、風害から農作物を守るため、協力して畑の周囲に森林を造成しました。この造林には、昭和26年から30年までの5年間を費やしています。
このようにして出来上がったのが、八街市の内陸防風保安林です。

二度の病気に見舞われた防風林の悲劇

植者たちは森林造成の知識や技術を持ち合わせていませんでした。しかし、幸いなことに、すぐ近くの東金市、山武町、松尾町にはサンブスギの立派な森林が広がっていたのです。ここは山武林業の中心地で、乾燥がちの風土にスギ林を仕立てる高い技術が存在しました。
この利を逃さず、防風林造成に際しては、山武林業の仕立て方を取り入れました。これは、マツ・スギ2段林を造成するというものです。スギにはサンブスギという品種が選ばれました。(サンブスギについては森林研究所ホームページを御覧ください。)

この方法は功を奏し、畑の周りには幅20m程の帯状の森林が育っていきました。ところが、悲劇はこの20年後に訪れたのです。

第一の悲劇は松くい虫被害の蔓延です。正しくはマツ材線虫病という樹病で、千葉県では昭和50年代に松くい虫被害が席巻し、多くの松林が失われました。八街市の内陸防風保安林も例外ではありませんでした。2段仕立ての上木であるアカマツのほとんどが枯死したのです。しかし、この頃には下層のスギが立派に育っていたため、防風林としての機能不全を免れました。

でも安心は一時のことだったのです。昭和60年代に入ると、スギ非赤枯性溝腐病がじわじわとスギを蝕んでいきました。第二の悲劇の始まりです。
ギ非赤枯性溝腐病は一般の方には耳慣れないかもしれません。サンブスギのような挿しスギ(種からではなく挿し木で増える性質に優れたスギの品種群)がかかりやすい病気で、しかも、千葉県と茨城県の一部でしか発生していない風土病です。松くい虫被害のように短期間で一気に枯死する激しさはありませんが、そのため発見も遅れ、気がついたときには病気がかなり進行していることもあります。

幹が溝状に腐っていき、ひどくなると患部から幹折れを起こします。現在、八街市を車で走ってみると、幹折れによって倒壊しているスギ林をよく見かけます。(スギ非赤枯性溝腐病については森林研究所のホームページを御覧ください。)
のように倒壊した内陸防風保安林では、治山事業による改植や県単独事業による病原体駆除や跡地植栽を行って、森林を復旧しています。

内陸防風保安林は印象が薄い

千葉県は三方が海に囲まれているため、海のイメージが強いようです。東京ディズニー・リゾートから高層ビル群が建ち並ぶ幕張新都心までのベイ・エリア、千葉市から君津市までの臨海コンビナート、銚子漁港や勝浦漁港に代表される水産業、あるいは南国ムード溢れる南房総の海洋リゾート地域など、海をイメージさせる産業や風物に恵まれています。
部林業事務所管内では、松と砂浜が織りなす九十九里浜の景観が全国的にも知名度が高い風物です。九十九里浜の松林は、飛砂の防備・潮害の防備・公衆の保健を目的とした保安林に指定されており、北部林業事務所管内の保安林のイメージを特徴づけています。
のような背景から、冒頭に述べた内陸防風保安林の存在は陰が薄くなってしまいます。

千葉県は一大農業県

このように、千葉県は海やサービス業務都市のイメージが強いのですが、実は日本有数の農業県なのです。農業産出額は全国第3位で、海面漁業漁獲量全国第8位の水産業と合わせて、正に首都圏の台所と言えるでしょう。

街市も有数の農業地帯であり、古く明治の時代に導入された落花生は全国1位の収穫量を誇り、品質も日本一と称賛されるほどです。
つまり、千葉県にとって重要な産業である農業を、内陸防風保安林は長年にわたり支えてきたというわけです。

内陸防風保安林の今

このような内陸防風保安林の役割は、今でも大きいものがあります。しかし、主要作物の変化や農業技術の進展、あるいは他用途への農地転用などによって、内陸防風保安林への期待も少しずつ低下しているのも確かなようです。

少し古いデータですが、平成7年に八街市南部地区の耕作者を対象にアンケート調査を行いました。結果は今後も防風保安林は必要と感じている人が回答者の49パーセントでした。反対に必要性を積極的に感じていない人が51パーセントと、正に考えが2分されています。ちなみに、アンケートの回収率は76パーセントでした。
この調査結果や周辺の土地利用が大きく変化してきている状況を考えると、内陸防風保安林を森林政策のなかで捉え直す時機に来ているのかも知れません。

内陸防風保安林を景観としてとらえると

防風保安林と落下ぼっち

「農林水産業に関連する文化的景観の保護に関する調査研究」が文化庁の主導で行われています。

この調査研究では、「文化的景観」を「農山漁村地域の自然、歴史、文化を背景として、伝統的産業及び生活と密接に関わり、その地域を代表する独特の土地利用の形態又は固有の風土を表す景観で価値が高いもの。」と定義しています。
この調査において、先の定義に該当する景観が全国で2,311地域確認され、さらに独自性、分かりやすさ、継続性などの観点から502地域が絞り込まれました。この502地域に「八街市南部の防風保安林と落花ぼっち」が優れた畑地景観として含まれています。落花ぼっちとは掘り起こした落花生を乾燥させるため、高さ2m、直径1mほどに野積みしたものをいいます。落花生の収穫期には、いくつもの「ぼっち」が畑いっぱいに出現します。

利から生まれた内陸防風保安林ですが、落花ぼっちと組み合わされた文化的景観として保全しようというコンセンサスが、広く県民に得られれば、進行する森林荒廃を改善する力の芽が伸びることも期待できるのではないでしょうか。

よくある質問

お問い合わせ

所属課室:農林水産部北部林業事務所森林管理課

電話番号:0475-82-3121

ファックス番号:0475-82-4463

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