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更新日:令和2(2020)年8月20日
ページ番号:315263
(ますだけじゅうたくしゅおくほか)
国登録有形文化財(建造物)
主屋、不動尊祠・土蔵・脇門・煉瓦塀、4棟1基
平成19年10月2日、平成25年6月21日
野田市今上字浅間下2574-1(個人)
桝田家は、正徳2年(1712)野田下河岸に開業した旧廻船問屋。かつての舟運の面影を伝える遺構である。江戸後期以降、醤油生産が盛んになったことから隆盛を極めたが、明治44年(1911)に千葉県営軽便(現東武鉄道)が開通、さらに関東大震災後には自動車輸送が広がるなどしたため、昭和13年(1938)に営業を終了した。
主屋は、明治4年(1871)の建築で、西側を流れる江戸川の堤防に面して建つ。桁行9間、梁間7間の木造2階一部平屋建で、寄棟造桟瓦葺とし、背面を葺き降ろしている。1階は梁間前半部が帳場や台所など商用部分、後半部が私的な部屋で、2階には舟宿の客室3室がある。
不動尊祠は、主屋南のオクニワの南東寄りに位置し、本格的な形式の切妻造桟瓦葺の木造で、明治32年(1899)頃に建てられた。土蔵は、オクニワの東寄りに建つ土蔵造2階建で、切妻造桟瓦葺の近代的な外壁を持つ土蔵であり、昭和前期に建てられた。脇門は、オクニワの西面に開く間口1.5mの薬医門で、木造、切妻造桟瓦葺となっており、明治前期に建築されている。煉瓦塀は、屋敷西正面から南面を囲む煉瓦塀で、西面は高さ1m、主屋の玄関と土間の前に出入り口を設けており、溢水時には堰板を落とし込む仕掛けがある。明治後期に建築、昭和前期に増築が行われている。
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