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更新日:令和5(2023)年4月6日
ページ番号:314984
(ほったまさとし・まさよし・まさともはか)
県指定史跡
昭和53年2月28日
佐倉市新町(個人)
堀田家は徳川譜代の大名で、幕府の要職をたびたび務め、11万石の所領があり、明治時代以降は伯爵に列せられた。正俊は寛永11年(1634)の生まれで、若年寄、老中を経て、天和元年(1681)には大老にまでなったが、江戸城内で刺殺されたことはよく知られている。その子孫、佐倉藩主堀田正睦は、寺社奉行、大坂城代老中となり、安政3年(1856)外国事務総裁として日本開国に貢献した。藩政でも、佐倉藩校を開くなど教育振興に努力している。正倫も父正睦の後を継ぎ、明治維新を迎えた後も佐倉藩知事となり、佐倉相済社の創設、堀田家農業試験場を開設するなど、幅広い業績を残している。
墓は、新町の甚大寺(じんだいじ)にある。正俊の墓は昭和11年(1936)に浅草の金蔵寺から移されたもので、墓石には「不矜院殿又新叢翁大居士」と刻まれている。また、正睦の墓石には「故佐倉城主侍従従位四位下紀文明公墓」と、正倫の墓石には「従二位勲三等伯爵紀正倫卿之墓」と刻まれている。
なお、堀田家墓地には各種植物が植栽されており、佐倉市の保存樹林の選定を受けている。
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