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更新日:平成29(2017)年5月11日

飯野陣屋濠跡

(いいのじんやほりあと)

飯野陣屋濠跡

種別

県指定史跡

指定日

昭和42年3月7日

所在地(所有者)

富津市下飯野(個人)

概要

飯野陣屋は、慶安元年(1648)に初代飯野藩主保科正貞(ほしなまささだ)が築いた。保科正貞は同年に大阪城番となり、1万7千石の大名として飯野に陣屋を構えた。周囲に土塁や濠を巡らした内邸(本丸・二の丸・三の丸を含む)面積12万8千平方メートル、外邸面積4万8千平方メートルの規模で、周防徳山藩の陣屋、越前敦賀藩の陣屋と並んで、俗に日本三陣屋とよばれた。史跡として指定されている濠跡は、幅5m、断面がV字形の薬研堀(やげんぼり)で、現在も水を湛えている。また、内裏塚古墳群中の三条塚古墳を取り込んでおり、西側の濠は古墳の周溝を利用していることが発掘調査により判明している。

藩主の保科家は、二代正景の代には加増されて2万石となり、以後転封も無く、明治維新まで8代にわたってこの地を治めた。最後の藩主の正益(まさあり)は、明治2年(1869)に版籍を奉還して飯野藩知事に任ぜられたが、明治4年(1871)の廃藩置県によって飯野藩が廃止され、木更津県に合併されると、飯野陣屋の機能は失われ、旧藩以来の建物は取り壊されることになった。

飯野陣屋の遺構は、比較的良好に残っており、「下飯野陣屋の図」や「飯野陣屋古図」などの古絵図により飯野陣屋の旧状をほぼ復元することが可能である。

飯野陣屋濠跡2

三条塚古墳の周溝を利用した西側の濠

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