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更新日:令和2(2020)年10月1日
ページ番号:314740
(かんぐんづか)
県指定史跡
昭和38年5月4日
勝浦市川津1394
明治2年(1869)1月3日夜、勝浦川津沖で熊本藩士の乗る米国汽船が暴風雨に遭い難破し、200余人の犠牲者を出した事故があった。
慶応4年(1868)から明治2年(1869)に至る戊申の役で、旧幕府の海軍副総督榎本武揚(えのもとたけあき)は、北海道の函館で官軍に最後の抵抗をしていた。維新政府から鎮圧を命じられた津軽藩は、容易に平定することができず、津軽藩主の実兄である熊本藩主に援軍の要請をし、熊本藩から寺尾九郎右衛門を長とする350人が船で北海道に向かった。しかし、勝浦川津沖でこの事故に遭い、北海道へは、たどり着くことができなかった。
官軍塚は、この遭難事故の救助に当たった地元川津の人々が遭難者を埋葬供養した場所であり、塚と記念碑が建っている。
現在、官軍塚からの眺望は素晴らしく、晴れた日の海は絶景であるが、この塚は、明治2年のこの事件を後世に伝え、明治維新史を物語ってくれる。
ひく山は重なりあひておのづから
小さき港と成りゐたりける
(官軍塚脇斎藤茂吉歌碑より)
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