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更新日:令和6(2024)年3月15日
ページ番号:315374
(おりもとかきょうのはか)
県指定史跡
昭和32年10月21日
富津市富津36(大乗寺)
織本花嬌は、富津に生まれ育った江戸時代中期の女流俳人である。同年代の雪中庵蓼太(せっちゅうあんりょうた)や小林一茶らと親交があり、特に一茶が憧れた人として知られている。
花嬌は元文年間(1736~1741)に旧西川村(現在の富津市)の名主小柴庄左衛門の娘として生れた。長じて隣村の旧富津村(現在の富津市)名主織本嘉右衛門に嫁し、俳人として活躍した。花嬌の有名な句としては、次のようなものがある。
「用のない髪と思へば暑さ哉」
「名月や乳房くはえて指さして」
小林一茶の「七番日記」には花嬌に関する記録が多くあり、文化7年(1810)に花嬌が没するまでの間に一茶が何度も花嬌を訪ねていることがわかる。また没後も何度か富津を訪ねている。花嬌の百ヶ日忌に富津を来訪した一茶は、次のような追悼の句を残した。
「草花やいふもかたるも秋の風」
「蕣(あさがお)の花もきのふのきのふ哉」
また、三回忌には、花嬌を牡丹・芍薬にたとえて
「目覚しのぼたん芍薬でありしよな」
と詠んでいる。
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