ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 京葉エリアの市 > 千葉市の国・県指定および国登録文化財 > 青木昆陽甘薯試作地
更新日:令和6(2024)年2月19日
ページ番号:314895
(あおきこんようかんしょしさくち)
県指定史跡
昭和29年12月21日
千葉市花見川区幕張町4-598-1
京成千葉線の幕張駅のすぐ近くに、塀に囲まれた一角があり、「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑が建っている。ここが享保20年(1735)、青木昆陽によってサツマイモが試作されたことを記念して県史跡に指定している場所である。
青木昆陽(文蔵)は江戸中期の蘭学者で、日本橋の魚問屋に生まれたが、学問を志し、京都の儒学者・伊藤東涯に学んだ。江戸に戻って町奉行大岡越前守忠相に知遇を得、幕府書物方に登用され、各地の古文書調査と蘭学研究に励んだ。昆陽は、人々を飢えから救う作物としてサツマイモに注目し、種芋で簡単に増やせる、狭い畑でもたくさん取れるといった特性や栽培方法などを研究し、『蕃薯考(ばんしょこう)』を著した。
享保の大飢饉(1733~34)の対策に苦慮していた八代将軍・徳川吉宗は、昆陽にサツマイモの試作栽培を行わせ、成功すれば全国に普及させるよう命じた。試作地には、天領であった下総国馬加(まくわり)村(千葉市花見川区幕張町)、江戸小石川の養生園(小石川植物園)、上総国不動堂村(山武郡九十九里町)が選ばれたが、特に幕張では種芋17個から2石7斗6升の収穫を得ることができた。その後、天明、天保と続く大飢饉の時にもサツマイモによって多くの人が救われ、昆陽神社も建てられた。
幕張から花見川にかけての地域は、昭和30年代までサツマイモ栽培の盛んな地域で、芋苗の供給地として知られていた。現在、全国トップクラスの生産額を誇る千葉県産サツマイモのふるさとである。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください