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更新日:令和5(2023)年7月7日
ページ番号:314765
(しらいちょうすいのはか)
県指定史跡
昭和10年3月26日
長生郡長南町地引580-1(正善寺)
白井鳥酔は、元禄14年(1701)に代々上総国埴生郡地引村(現長南町地引)の代官をつとめる家に生まれた。
享保6年(1721)父の死により家督を相続し、喜右衛門を襲名し代官をつとめたが、役義過怠つまり職務怠慢を問われ家督を実弟に譲って後見人となって、正善寺内に庵を結び俳諧を志すようになり、まもなく江戸に出て、佐久間長水(柳居)に師事し俳諧の道に専念するようになった。
鳥酔は、芭蕉の没後、俳諧が低調卑俗化する中にあって、芭蕉の正調俳諧を説き、江戸俳壇にゆるぎない地位を築いて天明の俳諧復興に大きく貢献したが、明和6年(1769)4月4日、江戸で没した。享年69歳であった。
鳥酔の遺骨は、相州・江戸・上総の3か所に分骨された。長南町正善寺の墓地中央に露柱塚と名付けられた鳥酔の碑がある。
涼しさやむかしへもどる夢の橋 鳥酔翁
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