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更新日:平成29(2017)年5月11日

市原の柳楯神事

(いちはらのやなぎたてしんじ)

市原の柳楯神事

種別

県指定無形民俗文化財

指定日

昭和41年12月2日

伝承地

市原市五所・八幡(飯香岡八幡宮)

概要

毎年旧暦8月15日に近い日曜日、飯香岡八幡宮の秋の大祭の中心的神事として行われる。

柳楯は、先端の葉を残して皮をはいだ柳(タチヤナギ)の小枝25本を縦に並べ、ここに5本の青竹を横に渡して藁縄で結び楯の形にしたものである。大祭前日に市原地区の2軒の「司家」が1年交代で製作を受け持つ。できあがった柳楯はまず市原地区長宅の神棚の前にまつり、司家は地区の人たちから「出振舞(ごちそうのもてなし)」を受ける。その後、司家と市原の氏子総代らが柳楯を市原八幡宮と阿須波神社に運んで参拝し、五所の集落に入る。五所では「御三家」が村の入口で出迎え、五所公民館(以前は年番の家)で柳楯の受け渡しを行う。

明けて祭礼当日、五所の人々に警護された柳楯の一行は、途中で飯香岡八幡宮の氏子に出迎えられ古道を経て同神社に入る。拝殿での神事の後、柳楯を先頭に神輿が町内を渡御する。

文治2年(1186)年に書かれたとされる市原光善寺の薬師如来縁起によると、市原領主の系譜を引く曽我の太郎光善が病に苦しんでいたところ、峯の薬師のお告げにより高僧行基が市原に下向し薬師仏を彫られたおかげで無事平癒した。行基がここへお堂をたて、人々に仏の道を説いていると、瑞石の上に八幡神が現れたため麦飯と柳の箸でもてなし、以来、八幡宮の祭礼に柳の楯を奉ずるようになったといわれている。また、古記録類からも、南北朝時代には既に柳楯神事が現在の形で行われていたことが分かる。

柳の楯を幣帛(神への供物)とするこの神事は、他に類例を見ないきわめて独特のもので、現在の神輿の原型、または神送りの特殊な形態とも考えられている。

よくある質問

お問い合わせ

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