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更新日:令和5(2023)年8月8日
ページ番号:315325
(かねだしょうこうかんけいしりょう)
県指定有形文化財(歴史資料)
平成14年3月29日
木更津市文京2-6-51(木更津市)・木更津市立図書館保管
明治維新によって急速な近代化に成功した理由の一つとして、江戸時代の末までに、すでに広範な教育が普及していたことがあげられる。それを担ったのが幕府の昌平坂学問所から藩校・私塾・郷学・寺子屋やまでの様々な教育機関である。郷学は庶民の指導者教育を担った教育機関で、なんらかの公的保護・監督を受けた点が寺小屋と違っている。
金田庄黌は近隣の庶民を教育する目的で、文化14年(1817)に名主の願いにより、現在の木更津市高柳小字塚之腰に設立された郷学である。文政6年(1823)の扁額に「金田庄黌」とあり、文政7年(1824)の扁額には「至徳堂」とある。金田庄黌あるいは至徳堂と称されていたことは明らかであるが、その使い分けや前後関係の事情は明確ではない。教授、助教、館頭、館正などの職掌があり、郷学としての組織が整えられていた。
資料は、設立や経営・行事にかかわる文書9点、教科書や教授関係者の蔵書であった典籍9種72点、扁額2点である。
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