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更新日:令和2(2020)年5月7日
ページ番号:315294
(あんびるけいたいしとうば)
県指定有形文化財(考古資料)
昭和55年2月22日
流山市西深井(個人)
板石塔婆とは板碑ともよばれるもので、鎌倉時代から戦国時代にかけての中世に、死者への供養や自らの極楽往生を願って全国各地でつくられた供養塔である。
安蒜家の板石塔婆は、流山市立西深井小学校の脇にある安蒜家の墓地に2基が並んで立てられている。いずれも高さが124cm、幅が31cmで、頂部が三角形に成形され、上部には2本の横線が刻まれている。碑面上部には蓮台の上に、阿弥陀、観音、勢至の三尊が仏や経文を表す梵字で彫られている。
向かって左側の塔婆の碑面下段中央には「正和四年(1315)八月一□日□覚□□」の銘と、その左右に「光明真言」が1行ずつ梵字で彫られている。右側の塔婆碑面中央には「元亨二年(1322)十二月二十三日」の紀年名と、その左右に「光明真言」が1行ずつ梵字で彫られている。関東地方で造られていた石塔婆の多くは、埼玉県秩父地方で産出される緑泥片岩を扁平にした「武蔵型板碑」と呼ばれるものである。安蒜家板石塔婆は鎌倉時代末期に造られた武蔵型板碑の代表的な石塔婆といわれ、均整のとれた形をした石塔婆としても知られている。
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