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更新日:令和5(2023)年10月4日

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木造薬師如来坐像及び両脇侍立像 附 神将立像2躯

(もくぞうやくしにょらいざぞう・りょうわきじりゅうぞう)

木造薬師如来坐像及び両脇侍立像

種別

県指定有形文化財(彫刻)

指定日

昭和40年4月27日

所在地(所有者)

市原市皆吉6(橘禅寺)

概要

 橘禅寺は、天平9年(737)行基によって開基されたと伝えられる。

 中尊の木造薬師如来坐像は橘禅寺の本尊で像高81cm、両脇侍の向かって右の日光菩薩立像は像高109cm、左側の月光菩薩立像は像高99cmである。3躯ともヒノキ材の寄木造で、素地仕上げである。目は彫眼で、ひとみや髭などに墨を入れている。

 薬師如来は結跏趺坐し、螺髪、肉髻珠、白毫相を表し、三道を刻みだし、衲衣をつけている。左手は膝上で薬壺をさげ、右手は肘を曲げ、掌を前にして5指を伸ばしている。

 両脇侍は、高い髻、三山冠をつけ、冠の頂に火炎宝珠、冠の両肩に円相を表す。髪はまばらに刻み、白毫相と三道を表す。また、左肩を覆う衲衣をつけ、右肩に編衫(へんざん)をつけている。

 木造薬師如来坐像の背板に墨書銘があり、鎌倉時代の弘長元年(1261)に橘禅寺が焼失したので、翌年に常陸公蓮上・信濃の公新蓮の両仏師により新しく作られ、焼けた薬師像の白毫を再利用したことが記されている。また、両脇侍の袈裟には宋様式が採用されており、鎌倉時代の宋様式の移入を示し、かつ制作年代の明らかな資料として彫刻史上重要な作例である。

 2躯の神将立像は、像高1.06mの一木造で、橘禅寺焼失前の12世紀後半の像である。これらは一具の二天像であったと考えられる。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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