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更新日:令和2(2020)年5月23日
ページ番号:315142
(こうみょういんあみだどう)
県指定有形文化財(建造物)
平成元年3月10日
香取市多田637(光明院)
光明院は、山号を八幡山、寺号を西福寺といい、阿弥陀如来を本尊としている。柱などへの墨書や確かな文献がなく創建については不明であるが、寺伝によると、平将門の乱で将門が平貞盛に討たれたことにより、追捕使として駐屯していた上野守多田満仲が、任を終え帰還する際に、この地が摂津国多田荘に類似していたことから「多田」と名付け、将門の供養に一寺と八幡宮を建立したと伝えられる。阿弥陀堂についても、建立は天正6年(1578)と伝えられているが、それを裏付ける棟札などの資料は不明である。
光明院阿弥陀堂は、桁行、梁間とも三間の寄棟造で茅葺の仏堂である。柱は角柱で、上部が丸みをもちながらすぼまる、いわゆるちまきで、前面には、後補と考えられる1間の向拝が付く。四周には縁を廻し、正面中央の扉ははめころしの格子戸、両脇間および側面の前面寄りの2間は引き違いの板戸となっている。組物は禅宗様、中備として大柄な本蟇股を置き、内部は円柱の迎来柱を後退させてその間に桟唐戸を入れた禅宗様の須弥壇を置いている。天井は、格天井で、中央部のみ格子を大きくして鏡天井とする。
幾度かの修理や改変を受けているとはいえ、組物、中備の本蟇股、内部の天井、須弥壇などがよく残されており、全体として建立当時の雄大な姿を伝える。県内にある方三間仏堂としては優作で、その様式などから中世末頃から近世初頭の建立と考えられる。
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