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更新日:令和7(2025)年1月21日
ページ番号:707420
(おにたかいせきしゅつどひん)
県指定有形文化財(考古資料)
令和4年3月8日
市川市堀之内2-26-1(市立市川考古博物館)
鬼高遺跡出土品は、昭和期を代表する考古学者の杉原荘介氏が昭和12年(1937)に市川市鬼高遺跡を発掘調査した際に出土した資料である。昭和13年に、同氏により『人類學雑誌』第53巻第11号の「下総鬼高遺跡調査概報」にて写真・実測図・拓本を用いて資料紹介された。この報告において出土土師器について初めて古墳時代の土器型式として「鬼高式土器」を設定、本遺跡を鬼高式期の標準遺跡と捉えられた。その後、昭和48年には、『土師式土器集成』本編3(後期)で、標準遺跡として鬼高遺跡が取り上げられ、関東地方の古墳時代後期を代表する土器として鬼高遺跡出土土師器がまとめて掲載された。このことで、関東における古墳時代後期の土器型式として考古学会に広く認識され、古墳時代土師器研究の原点のひとつとされている。
このように本資料は昭和初期段階から古墳時代に位置づけられた資料群として、学史的価値を有し、現在の古墳時代研究においても「鬼高式土器」は土器型式名として使用され続けている。
なお、対象の資料は、『人類學雜誌』第53巻第11号、『市川市史』第1巻原始・古代、『土師式土器集成』本編3(後期)に、1点、土錘7点の51点である。また、鬼高遺跡出土品の土器は、現在の古墳時代土器編年では、一部に古墳時代前期の土器片を含み、中心は古墳時代中期から後期の土器群と位置づけられ、土器以外の資料についても同様の時期が考えられる。その内、鹿角製刀剣装具は昭和13年に国の重要美術品に認定されている。
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