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更新日:令和6(2024)年10月17日
ページ番号:315289
(きゅうとくがわあきたけていえん(とじょうていていえん))
国指定名勝
平成27年3月10日
松戸市松戸字戸定642番1他(松戸市)
旧徳川家松戸戸定邸は、徳川御三家の一つである水戸藩の11代当主徳川昭武の別邸として、明治16年から17年(1883から1884)にかけて築造された。敷地面積は23,000坪以上あり、建物も200坪以上と、当時の大名華族の暮らしぶりをしのばせる。
徳川昭武の父は、幕末に活躍した徳川斎昭で、兄は最後の将軍となった第15代将軍慶喜である。幕府崩壊から明治時代の激動期に生き、慶応3年(1867)には、将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣されている。明治維新後も明治9年(1876)に開催されたフィラデルフィア万博や長期のパリ留学と、国際派の道を歩んだ。昭武は水戸家を継いだが、明治16年(1883)に長兄慶篤の遺児である篤慶に家督をゆずって隠居し、明治25年(1892)に実子の武定が子爵を授けられたのに伴い、松戸徳川家が創始された。
庭園は、昭武が慶応3年に将軍代理としてフランスのパリで開催された万国博覧会に出席した際に見た庭園からヒントを得て、向島小梅の水戸家の下屋敷に出入りしていた庭師に作らせたものと言い伝えられている。庭園様式は、大きな芝生を中心とした平地部分となだらかな築山を配した部分からなり、芝生地の中の象徴木としてイヌマキの植栽は特異的な景観を形づくっている。また、庭園は、スダジイ、クヌギ、コナラなどから構成される林によって囲まれている。
この時期の庭園の多くは、日本庭園の伝統的技法となっている借景をうまくとり入れ、高台のすぐれた景勝地を選び、田園風景を十分眺望できるような設計がされている。
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