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更新日:令和2(2020)年5月23日
ページ番号:315137
(かとりじんぐうほんでん ろうもん)
本殿
重要文化財(建造物)
本殿 昭和52年6月27日
楼門 昭和58年12月26日
香取市香取1697(香取神宮)
香取神宮の祭神は、出雲の国譲り神話の中で、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちおおかみ)とともに出雲に赴いた経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である。その武威に大国主大神が従うことになったとされ、古代から武神として信仰を集めてきた。古代においては、鎮護国家の神として大和朝廷の東国経営の一翼を担い、中世には下総国の一宮となり、江戸時代には徳川幕府の庇護を得た。
本殿は、平安時代には伊勢神宮などと同様の20年ごとの建替えの制度があったが、戦国時代に廃れ、現在の本殿は、元禄13年(1700)に幕府によって造営されたものである。正面柱間が三間で前庇と短い後庇を加えた両流造(りょうながれづくり)の全国でも最大級のもので、黒漆塗、檜皮葺(ひわだぶき)の重厚な社殿である。また、蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)・組み物には極彩色の装飾が施され、前代の慶長期の桃山様式の手法を受け継いでいる。
楼門は、本殿と同じく元禄13年(1700)の造営で、3間1戸で、屋根は入母屋造銅板葺であるがもとは栩葺(とちぶき)であった。周囲の緑の中で、楼門の鮮やかな朱塗りと奥に見える社殿の黒が鮮烈なコントラストをみせている。
楼門
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