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更新日:令和3(2021)年3月10日
ページ番号:6074
この地蔵尊像は、本織番場の普門院(新義真言宗)の入口に在る45センチ、横78センチ、高さ78センチの半跏思惟の石像で、台の高さは74センチである。「石巧・当村・武田産・秀治」の銘が刻まれている。
地蔵菩薩は、仏教で釈迦が入滅してから56億7000万年後に弥勒仏が出生するまでの無仏の間、この五濁の世に出現して六道の衆生を救済する菩薩であると言われ、末法思想が盛んになるにつれ広く信仰されて来た仏である。
作者「武田石翁」は、安房先賢偉人の一人で、木彫の「武志伊八」「後藤義光」と共に安房の生んだ偉大な彫刻家である。
石翁は、安永8年(1779)1月、本織宇戸の武田家に生まれ、名を周治と言い、字は是房、号を天然道人、天然斉などと称し晩年「石翁」と号した。石翁は、幼にして手工芸を好み殊に彫刻の才を備えており、寛政3年(1791)平郡元名村(鋸南町)の石工小滝勘蔵の弟子となり石匠の業を修めた。23歳の時望まれて師勘蔵の養嗣子となり、安政5年(1858)8月に80歳で没するまで彫刻活動を続けた。
石翁の彫刻は石にその材を求め、40歳以後の作品に見るべきものが多く、漢学者「嶺田楓江」は石翁の作品に大いに感歎し一詩を賦したと言われ、近くは石川淳の「諸国畸人伝」や「安房先賢偉人伝」にも詳述されている。
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