千葉県Chiba Prefectural Government

~ 千葉県にオリンピック・パラリンピックがやってくる ~

更新日:令和4(2022)年3月25日

ページ番号:498351

ここから本文です。

第1部Ⅲ-2.千葉県ゆかりの選手の活躍(パラリンピック)

 東京2020パラリンピック競技大会には、千葉県にゆかりのある数多くの選手が出場し、メダル獲得や入賞を果たすなど、素晴らしい活躍を見せた。

※千葉県ゆかりの選手の競技結果については資料編参照

水泳男子50m平泳ぎ、50m・100m・200m自由形、150m個人メドレー―鈴木孝幸(すずき たかゆき)選手

 浦安市在住の鈴木孝幸選手は、パラリンピックに5大会連続の出場を果たし、出場した水泳5種目すべてでメダルを獲得した。鈴木選手は先天性の四肢欠損という障害により、右腕は肘まで、左手は指が3本、両足は膝下がなく、6歳から水泳を始め、高校3年生で出場した2004年のアテネ大会では、メドレーリレーで銀メダルを獲得し、その後2008年の北京大会で金(50m平泳ぎ)と銅(150m個人メドレー)、2012年のロンドン大会で銅2個(50m平泳ぎ、150m個人メドレー)のメダルを獲得した。2016年のリオデジャネイロ大会では50m平泳ぎと150m個人メドレーに出場したが、4位入賞とメダルを逃し、再び世界の頂点を目指して練習しながら、東京2020パラリンピック競技大会の招致にも携わった。

 今大会では、50m平泳ぎと50m・100m・200m自由形、150m個人メドレーの5種目に出場。8月25日のパラリンピック初日に50m平泳ぎ(運動機能障害SB3)で銅メダル、翌26日の100m自由形(運動機能障害S4)では2008年北京大会以来の金メダルを獲得した。この金メダルは、東京2020パラリンピック日本勢初の金メダルであり、パラリンピックでの日本勢の金メダル獲得は2大会ぶりとなった。

 さらに8月28日の男子150m個人メドレー(運動機能障害SM4)で銅メダル、30日の200m自由形(運動機能障害S4)では銀メダル、9月2日に行われた最終種目の50m自由形(運動機能障害S4)でも銀メダルを獲得し、出場全種目におけるメダル獲得を達成した。

水泳男子100m背泳ぎ―窪田幸太(くぼた こうた)選手、男子4×100m 34ポイントメドレーリレー ―窪田幸太選手、荻原虎太郎(おぎわら こたろう)選手

 千葉市出身(県立実籾高校卒業)の窪田幸太選手は、今大会で水泳競技3種目に出場した。左腕に先天性の障害がある窪田選手は、0歳からスイミングスクールに通っており、小学5年生から本格的に水泳を始めた。男子100m背泳ぎ(運動機能障害S8)の決勝では自身が予選で出した日本新記録をさらに更新するタイムで5位に入賞した。また、男子4×100m 34ポイントメドレーリレーでも日本新記録で8位に入賞した。

 千葉市出身(千葉明徳高校卒業)の荻原虎太郎選手は、5歳からスイミングスクールに通い、中学生で本格的に水泳を始めた。4歳のときに悪性に変わった軟骨肉腫を摘出したことで、右肩と右足にまひが残った。今大会では4種目に出場し、男子4×100m 34ポイントメドレーリレーでアンカーを務め、日本の8位入賞に貢献した。

 窪田選手、荻原選手ともに今回が初のパラリンピック出場となった。

水泳女子50m・400m自由形、混合リレー ―辻内彩野(つじうち あやの)選手

 昭和学院高校(市川市)を卒業した辻内彩野選手は、50m・400m自由形(視覚障害S13)、100m平泳ぎ(視覚障害SB13)、混合4×100m49ポイントフリーリレーの4種目に出場した。400m自由形では予選で日本記録を更新して8位に入賞し、50m自由形では決勝で日本新記録を更新して7位入賞となった。また、混合リレーでも日本新記録を更新し、5位入賞を果たした。

 辻内選手は、父がスイミングクラブの指導者、母は高校総体や国体に出場した元水泳選手という水泳一家に育ち、小学生から水泳に打ち込んできたが、高校3年生で病気を発症、進行性の黄斑ジストロフィーと診断され、大学でパラ水泳に転向した。

卓球男子シングルス―竹守彪(たけもり たけし)選手

 松戸市出身の竹守彪選手は卓球男子シングルスC11(知的障害)に出場した。竹守選手は発達遅滞の障害があり、中学生のとき、卓球部に入ったことをきっかけに卓球競技を始めた。21歳のときに出場したアジアパラ競技大会で金メダルを獲得し、2016年のリオデジャネイロ大会では、卓球男子の知的障害クラスで唯一の日本代表となった。2大会連続のパラリンピック出場を果たした今大会では、予選リーグを1勝1敗で突破した後、準々決勝で敗れ、5位入賞となった。

卓球女子団体―竹内望(たけうち のぞみ)選手

 鎌ケ谷市出身(県立松戸六実高校卒業)の竹内望選手は、生まれるときに首に圧力がかかったことが原因で、右腕の首元から指先がまひしている。

 20歳でパラリンピックの卓球競技を始め、これまでに国内外の大会で活躍しており、今回が初のパラリンピック出場となった。

 今大会では卓球競技2種目に出場し、女子団体(C9-C10)では、初戦で金メダルを獲得したポーランドに敗れ、5位となった。

アーチェリー―大山晃司(おおやま こうじ)選手

 松戸市出身の大山晃司選手は、警視庁初のパラリンピアンであり、アーチェリー競技の男子個人と混合団体に出場し、両種目で6位入賞を果たした。

 大山選手は、2012年に大学で所属していた体操部の練習中に頸椎を損傷し、一時は、首から下が完全にまひ状態となった。右腕があまり動かないため、左手で弓を持ち、口で矢を引いている。リハビリの過程で2016年にアーチェリーを始め、警察署に勤務しながら、わずか1年後の2017年に全国大会で優勝した。

トライアスロン―秦由加子(はた ゆかこ)選手

 トライアスロン女子(運動機能障害PTS2)には千葉市出身の秦由加子選手が出場した。秦選手は13歳のとき骨肉腫を発症し、右脚を大腿部より切断している。2008年からパラ水泳のクラブチームに所属し競泳でパラリンピック出場を目指したがかなわず、2013年にトライアスロンに転向してパラリンピアンとなった。今大会では、パラリンピック初出場となった2016年のリオデジャネイロ大会に続いて6位に入賞した。

パワーリフティング―宇城元(うじろ はじめ)選手

 パワーリフティング男子72kg級に、9年ぶり3大会目のパラリンピック出場となる順天堂大学職員(佐倉市在住)の宇城元選手が出場し、6位に入賞した。宇城選手は、大学4年生のときにバイクの事故が原因で車いす生活となり、車いすバスケットボールを始めた後、パワーリフティングに出会った。2004年のアテネ大会は8位、2012年のロンドン大会は7位で、男子72kg級および80kg級の日本記録を持っている。

車いすラグビー ―今井友明選手(いまい ともあき)、羽賀理之選手(はが まさゆき)、池崎大輔(いけざき だいすけ)選手

 8月25日に、車いすラグビーの予選リーグが開幕した。予選リーグでは、フランス、デンマーク、世界ランキング1位のオーストラリアと対戦して全勝し、準決勝に進んだ。準決勝でイギリスに敗れたものの、3位決定戦では再びオーストラリアに勝利し、リオデジャネイロ大会に続いて銅メダルを獲得した。

 県ゆかりの選手としては、頸髄損傷で両手足に障害を持つ今井友明選手(我孫子市出身)と羽賀理之選手(松戸市出身、千葉市在住)、進行性の難病で両手足などにまひのある池崎大輔選手(浦安市在住)が代表入りした。今井選手と羽賀選手は、リオデジャネイロ大会からの2大会連続出場、池崎選手は、ロンドン大会からの3大会連続出場を果たした。今大会で、今井選手は守備の要、羽賀選手は副キャプテン、池崎選手はエースとしてチームを牽引した。

柔道―小川和紗(おがわ かずさ)選手

 視覚障害者による柔道女子70kg級の3位決定戦で、パラリンピック初出場の小川和紗選手がロシアパラリンピック委員会の選手から技ありを奪って優勢勝ちし、銅メダルを獲得した。小川選手は市原市出身で、先天性の視神経膠腫のため視力は両眼とも0.01程度である。中学校で柔道を始めたが、視力が低下し、高校2年生で盲学校へ転入した。その後一度競技から離れたが、高校卒業後に視覚障害者柔道を始め、2017年ワールドカップでは銅メダルを獲得している。

5人制サッカー ―佐々木康裕(ささき やすひろ)選手

 今大会が5人制サッカー(ブラインドサッカー)でパラリンピック初出場となる日本は、初戦でフランスに勝利。その後の試合に敗れ、予選リーグ突破はならなかったが、5-6位決定戦でスペインを破り、5位入賞となった。

 初戦に出場した四街道市出身(麗澤大学卒業)で千葉県職員の佐々木康裕選手は、生まれつきの緑内障に加え、小学生のころに網膜剥離を併発したことで手術を繰り返すうちに視力が低下した。

 視力があったころからサッカーが好きで、27歳のときにブラインドサッカーを始めた佐々木選手は、競技を始めて数年後には日本代表に選出され、これまで国際大会にも多く出場している。

車いすテニス―国枝慎吾(くにえだ しんご)選手

 車いすテニスでは、柏市出身の国枝慎吾選手が男子シングルスと男子ダブルスの2種目に出場した。シングルスでは、決勝でトム・エフベリンク選手(オランダ)をストレートで破り、2大会ぶり3度目の金メダルに輝いた。前日に行われた眞田卓(さなだ たかし)選手とペアで出場したダブルスでは、3位決定戦で同じエフベリンク選手とマイケル・シェファース選手のペアに屈し、4位入賞となっていた。

 国枝選手は、9歳のときに脊髄の病気で下半身が不自由になり柏市の吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始めた。初のパラリンピック出場となった2004年アテネ大会から5大会連続でパラリンピックに出場し、これまでも多数のメダルを獲得してきた車いすテニスの第一人者であり、今大会には世界ランキング1位で臨み、日本選手団の主将も務めた。

ボッチャチーム―廣瀨隆喜(ひろせ たかゆき)選手

 君津市出身(県立袖ケ浦養護学校卒業)の廣瀨隆喜選手は、ボッチャチーム(脳性まひ・運動機能障害BC1/BC2)に出場し、2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得した。先天性の脳性まひにより、四肢に障害があり、中学校でビームライフル、高校で車いす陸上に取り組んだ後、特別支援学校の教員に勧められてボッチャを始めた。

 廣瀨選手は、2008年の北京大会でパラリンピックに初出場してから、4大会連続で出場を果たしており、リオデジャネイロ大会ではチームで銀メダルを獲得した。

ボッチャペア―高橋和樹(たかはし かずき)選手

 9月4日に行われたボッチャペア(脳性まひ・運動機能障害BC3)準決勝に高橋和樹選手が登場し、世界ランキング1位のギリシャを5対1で撃破した。決勝で同4位の韓国に同点からのタイブレークの末敗れたが、ペア初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

 高橋選手は、市川市出身(千葉商科大学卒業)で、中学校、高校時代に県大会や地方大会で優勝するなどの経験を持つ柔道選手だったが、高校2年生のときに練習試合で頸椎を骨折するけがを負い、車いす生活となった。パラリンピックの東京開催が決まった翌2014年にボッチャを始め、2016年のリオデジャネイロ大会に出場したが、同大会では予選敗退。今大会で初のメダル獲得を果たした。

陸上競技男子5000m―樋口政幸(ひぐち まさゆき)選手

 柏市在住で、柏市を拠点として競技に取り組んでいる樋口政幸選手は、陸上男子5000m(車いすT54)で決勝に進出し、8位に入賞した。

 今大会でパラリンピック3大会連続出場となる樋口選手は24歳のときにバイク事故で脊髄を損傷し、リハビリの一環で車いすマラソンを始め、ロンドン大会出場の後マラソンからトラック種目に転向した。前回のリオデジャネイロ大会では4位入賞を果たしており、今大会では順位を下げたものの、レース中は集団の中で巧みな位置取りをし、ベテランの力を見せた。

陸上競技男子やり投―山﨑晃裕(やまざき あきひろ)選手

 8月30日に、順天堂大学(印西市)職員の山﨑晃裕選手が陸上男子やり投(上肢障害F46)の決勝に出場し、7位に入賞した。

 山﨑選手は生まれたときから右手首の欠損があり、高校生までは野球部に所属し、大学では身体障害者野球で世界大会に出場した。その後パラリンピック出場を目指して2015年に野球で培った強肩を生かせるやり投に転向し、2017年には60m65cmの日本記録を樹立した。また、日本パラ陸上競技選手権およびジャパンパラ陸上競技大会では4連覇を成し遂げるなど、数々の世界大会に出場し、上位入賞を果たしている。

陸上競技男子400m―松本武尊(まつもと たける)選手

 今大会がパラリンピック初出場となる千葉市出身(専修大学松戸高校卒業)の松本武尊選手は、陸上男子100m(脳性まひT36)・400m(脳性まひT36)に出場した。400m決勝では7位入賞、100mではパーソナルベストを更新するという成績を収めた。松本選手は短距離選手として活躍していた高校2年生のときに病に見舞われ、両手足にまひが残った。一時陸上を断念したが、リハビリ後にパラリンピックメダリストと同じレースに出場したことがきっかけでパラ陸上を始めた。100m、200m、400mで日本記録を更新し、現在3種目で日本記録を保持している。

陸上競技男子1500m―岩田悠希(いわた ゆうき)選手

 流山市出身(県立特別支援学校流山高等学園卒業)の岩田悠希選手は、男子1500m(知的障害T20)に出場し、8位に入賞した。数字に強いこだわりがある岩田選手は、所属する陸上クラブの指導者から示される目標タイムを達成することで実力を伸ばしてきた。2020年に行われた日本選手権の男子1500m知的障害のクラスで、世界ランキング5位相当の好タイムを記録し、今大会でパラリンピック初出場を果たした。

陸上競技混合4×100mユニバーサルリレー、男子マラソン―鈴木朋樹(すずき ともき)選手

 館山市出身・千葉市在住(木更津総合高校、城西国際大学卒業)の鈴木朋樹選手は、陸上競技で計4種目に出場した。

 混合4×100mユニバーサルリレーではアンカーを務め、銅メダルを獲得した。ユニバーサルリレーは男女2人ずつの4人が視覚障害、切断と機能障害(立位)、脳性まひ(立位)、車いすの順で走るパラリンピックの多様性を象徴する新種目で、バトンを使わず背中など体の一部にタッチする。

 鈴木選手は大会最終日の9月5日に東京・国立競技場を発着点とするロードで行われた男子マラソン(車いすT54)では7位に入賞した。生後8カ月の交通事故で脊髄を損傷した鈴木選手は、両親の勧めで車いす陸上に出会い、中学校から本格的に競技に取り組むようになった。2019年4月のロンドンマラソンで3位となり、今大会のパラリンピック代表内定の第一号となった。

バドミントン女子シングルス、女子ダブルス―里見紗李奈(さとみ さりな)選手

 東京2020パラリンピックから正式競技となったバドミントンの女子シングルス(車いすWH1)で、八街市出身(県立千城台高校卒業)の里見紗李奈選手(世界ランキング1位)がスジラット・プッカム選手(タイ・世界ランキング2位)との決勝に臨み、金メダルを獲得した。また、山崎悠麻(やまざき ゆま)選手とペアを組んで出場した女子ダブルス(車いすWH1-WH2)でも決勝で中国の劉禹彤・尹夢璐選手を破り、金メダルを獲得した。

 里見選手は、高校3年生の2016年に交通事故で脊髄を損傷し、両脚に障害が残ったが、翌年、父親に連れられて、村山浩(むらやま ひろし)選手が代表を務める千葉市の車いすバドミントンクラブの練習に参加し、競技を始めた。2018年には「インドネシア2018アジアパラ競技大会」で銅メダルを獲得し、同年から日本選手権で3連覇を果たしている。

バドミントン女子シングルス、混合ダブルス―杉野明子(すぎの あきこ)選手

 女子シングルス(立位・上肢障害SU5)の3位決定戦で、市原市出身(県立市原八幡高校卒業)の杉野明子選手が亀山楓(かめやま かえで)選手との日本人対決を制し、銅メダルを獲得した。また、混合ダブルス(立位・下肢障害SL3-上肢障害SU5)で、準決勝でフランスのペアに敗れたが3位決定戦でインドのペアに勝利し、銅メダルを獲得した。

 杉野選手は生まれつき左腕に障害があるが、中学時代にバドミントンを始め、大学時代にパラバドミントンに出会った。2017年の世界選手権では女子ダブルスで金メダルを獲得。2018年11月には左膝靭帯断裂のけがを負ったが、けがから復帰し、今大会では女子シングルス、混合ダブルスの2種目でメダル獲得を果たした。

バドミントン男子シングルス、男子ダブルス―村山浩選手(むらやま ひろし)、長島理(ながしま おさむ)選手

 村山浩選手(四街道市出身、県立千葉商業高校・城西国際大学卒業)は、男子シングルス(車いすWH1)準々決勝で長島理選手(千葉大学卒業・千葉大学大学院修了)に勝利したが、準決勝で中国選手に、3位決定戦で韓国選手に敗れ、4位入賞となった。梶原大暉(かじわら だいき)選手とのペアで臨んだ男子ダブルス(車いすWH1-WH2)の3位決定戦では、タイのペアを破って銅メダルを獲得。長島選手は、男子シングルス(車いすWH1)で5位入賞となった。

 村山選手は34歳で難病を発症し車いす生活に、長島選手は大学時代に交通事故で脊髄を損傷し車いす生活となった。両選手とも、これまでに車いすバドミントンの国内外の大会で活躍してきた実績を持っている。

車いすバスケットボール―川原凜(かわはら りん)選手、香西宏昭(こうざい ひろあき)選手

 車いすバスケットボール日本男子は、予選リーグをグループ2位で通過し、その後、強豪のオーストラリア、イギリスに勝利し、初の決勝進出を決めた。決勝ではリオデジャネイロ大会で金メダルを獲得したアメリカに惜しくも敗れたが、この競技で日本男子初のメダルとなる銀メダル獲得を果たした。車いすバスケットボール男子代表は、この競技の中心選手として活躍してきた京谷和幸(きょうや かずゆき)さん(元千葉県教育委員)がヘッドコーチを務めており、県ゆかりの川原凜選手(千葉市在住、千葉ホークス所属)、香西宏昭選手(千葉市立若松小学校・若松中学校卒業)が代表メンバーとして選出された。川原選手は、生まれたときから脊髄の病気で下半身に障害があり、病院でクラブチームの監督から声をかけられたことがきっかけで高校に入ってから本格的に競技に取り組んだ。香西選手は、生まれたときから両足のももから下がなく、小学6年生のときに体験会に参加したことがきっかけで競技を始めた。

 川原選手は今大会が初めてのパラリンピック出場、香西選手は今大会で4大会連続のパラリンピック出場となった。

ゴールボール―佐野優人(さの ゆうと)選手

 順天堂大学(印西市)に在籍する佐野優人選手が出場したゴールボール男子は、パラリンピック初出場ながら予選リーグを1位通過。準々決勝で中国に敗れたが、5位入賞を果たした。

 佐野選手は、中学3年生のときに、視力が徐々に低下するレーベル遺伝性視神経症と診断され、当時打ち込んでいた野球を断念したが、家族の勧めでゴールボールを始めた。競技歴5年ながらすべてのポジションで安定した守備力が評価され、日本代表に選出。本大会では計13点を決めるなど、攻撃面でもチームに貢献した。

お問い合わせ

所属課室:環境生活部生涯スポーツ振興課企画調整班

電話番号:043-223-2449

ファックス番号:043-222-5716

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?