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更新日:令和3(2021)年8月26日

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シッティングバレーボール加藤昌彦選手へのインタビュー

東京2020パラリンピックに出場を予定しているシッティングバレーボール競技日本代表の加藤昌彦選手(松戸市出身)へのインタビュー記事を紹介します。

シッティングバレーボールとの出会いを教えてください。

インタビューを受けている加藤選手の写真当時は東京のスポーツセンターまで通い、マシンを使ってリハビリなどをしていました。そんなある日、体育館の片隅でシッティングバレーボールの練習をしている人達がいて、「試してみる?」と、声を掛けられたのがきっかけです。

スポーツはサッカーの経験しか無かったのですが、実際にプレーしてみると、手でボールを扱うのが難しく、でも、それが逆に新鮮でした。最初は床に座ったまま動くことが、本当に難しかったですね。それから、ボールを蹴ってもヘディングしてもよいところが、サッカーに近いと感じました。そして、プレーする度に上達するのが実感でき、それが嬉しくて次第にのめり込み、以後、シッティングバレーボールの練習をするために、週1~2回のペースで東京に通いました。

足を悪くする前は、サッカー選手として活躍されていたのですね。

地元のクラブチームに所属し、キャプテンを務めていました。足を悪くしてからもチームの仲間が、「これからも一緒にやろう!」と言ってくれたので、しばらくはサッカーを続けました。無論、以前のポジション(ディフェンダー)は難しかったので、キーパーに転向したのですが、やはり思うようには動けず、やればやるほどストレスが溜まり、やがて、皆の足手まといになっていると感じるようになり、サッカーから身を引きました。

足の障害について教えてください。

26歳の時、左足に静脈瘤が見つかりました。その時に受けた手術でミスがあり、膝下切断を余儀なくされました。その直後は義足になるという事実が理解できず、将来への不安もありましたが、「こうなってしまった以上、自分なりの障害者生活を送ろう!」と、比較的早い段階で、気持ちを切り替えられたと思います。

シッティングバレーボールを始めて、極めて短期間で日本代表に選ばれたそうですね。

子どもの頃から続けてきたサッカーは、地区代表止まりでした。なのにシッティングバレーボールは、始めてすぐに日本代表に選ばれ、「こんなに簡単でいいのか?」と、最初は戸惑いました。しかし、「選ばれたからには結果を残さねばならない!」というプレッシャーから、練習には熱が入りましたね。

そして2000年、シドニーパラリンピックに初出場。

実は、その頃の私はパラリンピックを知りませんでした(笑)。日本国内でも知らない人が多かったと思います。もちろん、そのような状況下でも、選手達はメダル獲得を目標に、練習に取り組んでいました。でも、オリンピック熱が盛り上がれば盛り上がるほど、パラリンピックとの差を感じたのも事実です。

試合ではさらに大きな衝撃を受けました。シッティングバレーボールは、他国では国技に近い扱いなのです。選手もセミプロのような待遇で、練習環境も充実しています。それに比べ私達は週末の僅かな時間に練習するだけ。体格的にも不利でした。シッティングバレーボールは臀部がコートに接地した状態でプレーしなければなりません。そのためスパイクもブロックも、背が高い方が圧倒的に有利なのです。でも、日本選手の平均身長は、参加国の中でも低かった……。

結果は参加12カ国中9位。本当に参加することに意義がある、という大会になってしまいました。でも、この経験があったから次の段階に進めたのだと思います。

アテネパラリンピック終了後、日本代表を一度引退されますが……。

アテネの頃、私はまだ会社員でした。パラリンピックに参加するには、長期間、会社を休まねばなりません。それでは申し訳ないと考え、アテネの1年前に退職し、自ら会社を立ち上げました。そしてアテネまでの1年は、ほとんどシッティングバレーボールに費やし、その合間に仕事をするという形で過ごしました。

アテネが終わり、気付けば私は34歳。そろそろ仕事に専念し、生活を安定させねばならないと考え、日本代表引退を決意しました。もちろん未練はありましたが、シッティングバレーボールでは、食べていけないのです。

その後、日本代表に復帰されますが、どのような心境の変化があったのでしょう?

東京パラリンピックの開催が決まり、シッティングバレーボールが競技種目に選ばれてすぐ、「日本パラバレーボール協会」や昔の仲間から、「戻って来て欲しい!」というオファーがありました。しかし、仕事のことや年齢的な不安もあり、最初は断りました。にも関わらず、仲間達は何度も何度も誘ってくれました。その思いに心を動かされ、「よし、もう1度やってみよう!」と。

それから約4年。「やると決めたからには、中途半端にしたくない!」という思いで日々トレーニングを重ねました。会社の敷地内にはトレーニングルームを作り、体重も10kg減らしました。自分の強みはスピードと経験だと考えているため、それを生かすためのトレーニングを重点的に行っています。

東京パラリンピックに向け、周囲の盛り上がりは感じますか?

最もそれを感じるのは、パラリンピックの競技が、テレビのCMなどで使われるようになったことですね。その中にはシッティングバレーボールの映像もあり、このような形で多くの人に知ってもらえるのは、本当に嬉しいです。ひと昔前なら考えられないことです。

ご自身でもシッティングバレーボールの普及活動やイベントなどを行っているそうですね。

体験教室でシッティングバレーボールの魅力を伝える加藤選手

千葉県は現在、「東京オリンピック・パラリンピックアスリート強化・支援事業」に取り組んでいるため、県内の小・中学校から、講習会や講演会の依頼が多数寄せられています。急に増えた理由は、体育の授業で子ども達に、シッティングバレーボールを体験させているからだと思います。私もシッティングバレーボールの普及に貢献できるならと、可能な限り要望に応えています。

加藤さんの考える、シッティングバレーボールの魅力とはどんなところでしょうか。

障害者スポーツではありますが、床に座れば誰もが同じ条件でプレーできること。低い位置でボールを扱うので、スピード感があるため最初は怖いと思います。でも、プレーしているうちに怖さが悔しさに変わり、最終的には喜びに変わります。座ったまま動くことが、最初は難しいと思いますが、慣れてくると滑るように動けます。比較的短時間で上達が実感できる、楽しいスポーツですよ!

パラリンピックはここを観て!

トレーニングを行う加藤選手

東京パラリンピックで日本チームの試合を観る場合、高さで勝る他国のチームに、スピードやテクニック、そして戦術を駆使してどう対抗するかに注目してください。強豪国同士の戦いでは、パワー対パワーという構図になるので、迫力があって面白いと思います。

注目すべき国はイランですね。イランのシッティングバレーボールの競技人口は日本の比では無く、その中から選ばれた選手が出場します。現在、最も大きな選手は身長が246cmもあり、最高到達点は約180cmです。ちなみに、私の最高到達点は135cm。40~50cmもの差があるので、ブロックしても触れることすらできません。イランと対戦することになったら、日本チームの戦い方に注目してください。

 

 

 

 

※本インタビュー記事は千葉市生涯学習情報誌「まなびの森vol.26外部サイトへのリンク」に掲載されているインタビュー内容の一部を転載したものです。

 

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所属課室:環境生活部生涯スポーツ振興課企画調整班

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