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更新日:令和3(2021)年12月1日
ページ番号:2659
小学生部門
千葉県知事優秀賞
暁星国際小学校6年
堀川 清奏(ほりかわ かのん)
お母さんの車椅子を押す僕の髪は長い。
でも、それを笑う人は僕の周りには居ない。
おととしの夏、僕のお母さんは、脳梗塞で身体が不自由になってしまった。
その時僕は9才で、詳しい話はして貰えなかったけど、入院中のママを見れば、今までと同じ生活が出来なくなってしまった事くらいは、直ぐに理解する事ができた。
体の右半身が、上手く動かせなくなって、歩けなくなっていたからだ。
それからの毎日は、僕達家族にはとても辛くて、大変な毎日だった様に思う。
着物で菜ばしを持つ姿がキレイだったママが、障害のせいで、スプーンもちゃんと持てなくて、料理どころか、一人で食事も出来ず悔し涙を流しているのを、僕はただ「泣かないで」となぐさめる事しか出来なかった。
そんな自分が、とても悔しかったし、悲しかった。
お兄ちゃんの清響と、泣きながら僕達で出来ることは何があるかを必死で考えた。
パパとも家族で話し合って、ママの障害のサポートをしようと誓った。
でも、僕はまだ小さくて、時にはママのリハビリのお手伝いを恥ずかしがったり、車椅子を押すのを清響に代わってもらったり、リハビリの成果で、徐々に良くなって行くママに、無理なお願いをしてしまった事もありました。
そんな中で、去年の運動会の前日、準備に張り切り過ぎたママは、また脳梗塞におそわれてしまった。
なんでママばっかり?どうして僕の家ばっかり?!運動会に来て欲しいって僕が言ったから?!そう思いました。
それは運動会でリレーの選手に選ばれていた清響も同じだったと思う。
「運動会は残念だったけど、ママが生きていてくれて、清奏や清響の事がわかって本当に良かった」とパパが言った時、一等賞のメダルも、ママの手作り弁当もない日になってしまったのに、何故だか悔しいのや悲しいのとは違う涙が、僕やママ、パパや清響からもあふれていました。
僕達家族はまた、振り出しに戻ってしまったけど、ママのサポートを、ママはリハビリを頑張る事に、家族皆んなでこの障害と向き合う事を誓い合った。
そして昨年の暮れに入って、清響が中等部に受かった為、春から寮に入る事が決まった。
その時、僕と清響はある約束をした。
今迄は、清響がママの車椅子を押してきたけど、それが出来なくなるから、これからは僕がママの車椅子を押す、ママのサポーターになるという誓いだ。
障害のある人は、誰かのサポートがあれば、自分らしい生き方が出来る。
ママも僕の助けがあったら、本来のママらしい笑顔になれる事が沢山ある。
もしかしたら、ママ以外にも、僕の助けがあったら、笑顔になれる人がいるかもしれない。
清響との誓いを忘れない為に、まだ知らない誰かの笑顔の為に、その日から、僕は髪を伸ばし始めた。
僕の担任の北岡先生や学校の理事長先生、沢山の先生達が、僕のへアドネーションを理解してくれて、僕のクラスの皆んなや学校の皆んなも、決して僕を笑ったりしないで暖かく見守ってくれている。
昔からへアドネーションをしているママも、僕の髪をカッコイイよ、と笑顔で撫でてくれる。
そんなママに、僕は勇気付けられる。
ママが少しづつ良くなっていくのを見ると、嬉しくなるし、助けになれて良かったと思う。
僕は誰かを助けているけれど、同時にみんなに助けられているんだなと思う。
障害のある人もない人も、必ず誰かを助けて、助けられている、それを忘れないで生きていきたい。
今、障害のある人も、誰かを助けて誰かを幸せにしているという事を誇りに思って、毎日を頑張って欲しいと思う。
前に向かって、胸を張って進んで欲しいと心から思う。
そんな事を願いながら、僕は今日もお母さんの車椅子を押す。
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