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更新日:令和4(2022)年8月15日
ページ番号:2664
高校生・一般部門
千葉県知事優秀賞
渡邉 陽南子(わたなべ ひなこ)
東日本大震災の数日前、長く闘病中だった寝たきりの祖父が亡くなりました。
私が生まれるよりもずっと前、楽しくお酒を飲んで帰ってきた次の日、「二日酔いだから仕事は休むよ。」と言った後、それは二日酔いではなく、脳梗塞だとわかった時から、祖父の闘病生活は始まったと聞きました。
治療・療養、介護の入退院を何度も繰り返し、上下肢不自由の身体障害一級、寝たきりの要介護度五だった祖父。
母に聞くと、初めは多少手足に不自由が残ったとしても、元気に外へ出て歩けるようになってほしい、どこへでも行けるようになってほしいと思っていたようですが、見事なくらいその思いとは反比例な状況だったそうです。
少しの間は一生懸命に黙々と学校の校庭を歩く練習ができていたけれど、やがて家の出入りがきつくなり、一歩が出しづらくなり、家の中でも転んでしまったりすることも増え、杖が手放せず、車椅子を借りることも増えて、何度かの入退院の後には寝たきりになってしまい、本当はあまり好きではなかったはずの入院やヘルパーさんの世話を黙って受けるしかなくなってしまったのだそうです。
それでも、祖父の周りには、いつも家族や地域や専門家の人たちの支えがありました。
まだ何とか少し歩けた頃には、父の運転でアクアラインを対岸へ渡ったというし、家の中では、孫の私を抱いてくれたり、遊んでくれたりもしました。
訪問看護や移動入浴で来てくれる人たちも、優しくて気さくないい人ばかりで、祖父が笑ってくれることも多かったようです。
私には、もう家か病院で寝ている姿の方が印象が強いのですが、家族の当たり前な日常会話で笑い、私の顔を見て優しく微笑み、入院ですと言えば、本当は家が大好きなのに、ちゃんとうなずいてわかってくれる、言葉がなくても会話し続けられた大切な家族でした。
どんなに動けなくなっても、やせ細って床ずれが痛々しくても、心が通じ合っていた普通の家族でした。
障害のある人・・・には違いありませんが、私も、家族も、病気になってからの祖父との生活を、障害のある人との特別なかかわりだとは思っていない部分がありました。
道の段差、使いづらい生活用品、流動食や他の病気の心配など、何もかも、大変ではなかったと言えば、嘘になると思います。
苦しかったことや、悲しいと思ったことがなかったと言えば、それも嘘になります。
それでも、祖父と私たち家族の日々は、障害者と健常者というよりも、そういう祖父と私たちの、大切な普通の毎日だったと感じている部分の方が、とても大きいと思います。
家にも、道にも、トイレや施設にも、段差や不便さはたくさんありましたが、そんな不便さにさえ、感謝したい気持ちがあります。
例えば、少しの段差に対して、それを超えられる元気か、超えられないSOSがあります。それは、祖父と私たち家族にとって、元気を喜ぶ出来事にもなったし、SOSに気付いて、今は何をしたら、これからは何をしてあげたらいいのかを、考えてできる助けにもなったと思うのです。
そんな気付きの積み重ねで少しずつ改修を重ね、生まれ変わった家は、古くてガタガタですが洋式トイレになり、不自然なくらい堂々と部屋の壁に手すりが付き、祖父がいた部屋だけはエアコンがついています。おかげで、今も家族みんなが便利に快適に暮らせているのです。祖父のための特別な家ではなく、家族のための暮らしやすい家なのです。
それに、障害と戦う辛い生活ではなく、普通の家族の日常だと思わせてくれたのは、社会の様々な支えのおかげでもあります。
社会保障や障害者福祉の制度、年金、バリアフリー、そして何より周りの人たちの心ができるだけ体の障害を意識しなくて済むように支えてくれる、社会の中にある障害をなくしてくれようとしている、心強い支えになってくれていたのだと思います。
障害は、人にも社会にもあるのではないでしょうか。
平昌パラリンピックのスノーボード競技で金メダルをとり、次は東京オリンピック・パラリンピック両方への挑戦を目指している成田緑夢選手は、挑むことも楽しむことも、精一杯できることが、今の自分にとっての幸せだからこそ、心からの笑顔で見ている私たちにも夢や希望をくれているのだと思います。
もし、私に障害といわれる不自由があったら、私も彼のように、それと向き合い、それと付き合い、そういう自分にとっての幸せを見つけて、誰かのためにも何かができるような生き方ができたらと思います。
そして、社会は、そんな思いを叶えてくれるような、共に生きていける大きな深い愛のある、地域や人やもの、チャンスがあふれる社会であってほしいと思います。
自分のために、誰かのために、社会のために、「共生社会」を支える一員でありたいと思います。
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