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更新日:平成30(2018)年12月10日

ページ番号:2635

母と海を眺める(平成27年度心の輪を広げる体験作文入賞作品)

母と海を眺める

高校生・一般部門

社会福祉法人千葉県身体障害者福祉協会理事長賞

小池 みさを(こいけ みさを)

春に三回めの脳出血を起こした母は、今、海が一望できる施設に入っている。週末になると、私は、母のいる施設を訪ね、童謡を歌っている。病により挫折した幼稚園教諭の経験は、今になって役立っている。

童謡を歌うのは、今回の脳出血でコトバを失った母のリハビリのため、母と共に暮らす方々が歌を通して楽しく過ごしてほしいという願いからであり、私は、満面の笑顔で施設に通い続けている。

でも、私の心は、施設に預けた母への申し訳なさでいっぱいだ。母の笑顔を見ることで自らの罪悪感を軽減したいという、利己的な思いで通っているにすぎない。

母は、2回めの脳出血までは、衝動性や自己中心的な人格変化が主症状で、家族は毎日が戦争のようだった。今回の脳出血でコトバを失った母は、自発性も低下し、ボンヤリ座っているだけで、オムツも手放せなくなった。

化粧の仕方も忘れ、何を言われても、ニコニコ笑っているだけである。手先の器用さは残っていて、髪を三つ編みに結わいては、ほどくことを繰り返している。促さなければ、ずっと座ったきりの母になってしまった。

若葉の頃、施設の窓から見える海がとても美しかったので、私は母を施設のそとに連れ出した。緩い坂を登れば海が見えるのに、その坂を母は登れずに転んでしまった。

健康な人の半分以下の筋力しかない私には、母を助け起こそうとしても、どうにもならず携帯電話で施設に連絡をした。職員が、車椅子をもって迎えに来て下さり、以後、母の外出時は車椅子の利用を命ぜられた。

外出するには、施設の玄関から道路までの緩い上り坂が、最初の鬼門である。私には、母を車椅子にのせて上り坂は登れない。幸い母は、全く歩けないわけではないので、私は「お母さん、ベビーカーを押した時みたいに、自分で押して登ろう。」と頼む。5人の孫をベビーカーに乗せて、お守りした母は、身体がベビーカーを覚えている。軽い半身マヒのある母が車椅子を押すと、片側に寄りがちになる。私がふざけて「お母さん、私を轢く気?」と言った時に、「轢くわけないよ。」と、久しぶりに母の声を聞いた。嬉しくて涙がでた。

母と二人で海を眺めるのは、心地よい時間だ。波の音を聴くのにコトバはいらず、自然に抱かれる快さがある。

目を閉じて、波の音をきいていたら、沖縄の西表島の海の風景が瞼に浮かんできた。

20年前、身体が不自由であってもダイビングはできると知り、私は落第を重ねながらもライセンスを取得した。ダイビング器材は重くて持ち運べず、海に潜るとすぐに身体が冷え、船にあがれば水圧からの変化で脳貧血を起こす私は、ライセンスがあるとは言えない状況だった。そんな私に「自分で終止符を打たないで。万全の体制でサポートするから、ぜひ来てね。」と言って下さったのが、西表島でダイビングショップを営むOさんである。

Oさんは、ダイビングチームのスタッフ全員に私の状況を伝えた上で、全員で私をサポートして下さった。私が持ち運べない器材を全て管理し、私は身ひとつで船に乗り、重さのかからない水中で器材を背負わせてくれた。

海からあがる時も、水中で器材を外し、船にあがれば、私が身体を横たえるスペースも確保してあった。海の中で潮の流れがあれば、私が流されないように、Oさんは、自分の身体と私をヒモで結んだ。フィンキックで体力が消耗しないよう、珊瑚礁の場所に降ろしてくれて、私は存分に熱帯魚やイソギンチャクを眺めた。泳がない私のダイビングは、「畳一畳スタイル」と、Oさん達と笑ったものだ。

本当に、海の中も、Oさん達と過ごした時間も、夢の世界のように幸せだった。

Oさんは、私に一つだけ条件を提示していた。それは、<万全の体制をとるために、他のダイバーが来ない時期に限定>という条件である。Oさんは、「混んでいる時は、小池さんを船の上で、ゆっくり寝かせてあげられないし。」と言っていた。全くOさんの言う通りである。万全の体制を築くためには、当事者の状況を十分に把握した上で、自分にできる範囲を明確にしなければならない。無理をしては続かないのだ。

大自然を相手に仕事をしているOさんは、自然の美しさも怖しさも知っている。天候に左右される生活は、自然の理に沿った無理のない生き方になる。だからこそOさんは、私に条件を提示した上で、心から私を歓迎し、ダイビング仲間に加えて下さったのだ。

今ではもう、私が旅行にでる体力は乏しいし、高齢の両親もいる。身体が丈夫でない私を大切に育ててくれた両親だ。母を施設に入れるのは、本意ではないけれど、病を抱えながら仕事をする私に、在宅介護は難しい。歌をうたうことならできる。自分にできること難しいことをよく考え、見極め、できる範囲で、精一杯の親孝行をすればよいのかもしれない。母と一緒に海を眺め、西表島での楽しかったことを思い出したら、ずいぶん気持ちが楽になった。

「海は広いなー、大きいなー、行ってみたいなイリオモテー。」と、歌詞を替えたことに気がついているのかいないのか、母はニコニコ笑っている。こんな時、私は、西表島の体験に負けないくらい幸せな時間なのだと思う。

お問い合わせ

所属課室:健康福祉部障害者福祉推進課共生社会推進室

電話番号:043-223-2338

ファックス番号:043-221-3977

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