企業庁収束に向けた課題整理(古川 巖水 氏) 古川 巖水 氏 昭和45年 入庁 平成16年 副企業庁長 平成18~19年 企業庁長 聞き手 吉田雅一知事特別秘書 聞き手:テーマは「企業庁の収束に向けた課題整理」です。お話を伺うのは古川さんです。 古川さんは入庁後企業庁の前身である開発庁に配属されたのがキャリアの始まりです。 1988年(昭和63年)から建設省、今の国土交通省に移られ、 2004年(平成16年)に県庁に戻られました。 帰ってきたときはもう企業庁の収束に課題整理ということになっていた訳ですけれども、 古川さんが帰られて副企業庁長、企業庁長をやられて、 3年間の話をしていただけたらというふうに思っています。 戻ったら収束、そんなイメージは、どんなふうにまず思われたのですか。 古川:当時、来たときはもう県で平成24年を目途に企業庁を 収束させるという事は決定した事実だった訳ですけれど、 開発局の前身が出来てから45年くらい経っている訳ですし、 バブル経済も終わったところなので、足元をしっかり もう一度見つめなおすという意味では収束というのではなくて、 もう一度どうすべきかということを見直すというのは、 必要なことだというふうには思った訳ですけれども。 ただ、まだまだ企業庁自体実施している事業がいっぱいある訳だし、 もう少し時代の要請に答えてやらなければいけないことも沢山出てくるだろう。 それからもうひとつはやっぱり全国とか、関東地方でみてみると、 他の県と比較するのではなくて全体を俯瞰してみると、千葉県の公営企業として これからやらなければいけないことというのはまだまだあるのだろうと。 そういうようなことで、収束というのはその物事をどこかに収れんさせるっていう 意味ですから、なんとなく企業庁という組織を整理するということが先になっていて、 その収束の行く具体的な姿っていうのが良く見えなかった。そういう意味では 収束に対していささか疑問を感じていた、というのが正直な気持ちですね。 聞き手:事業収束するには当然ながら私も関わったことがあるものですから、お金のこと、 資金がいくら残るとかそういうことがまた非常に重要になってくるとは思うのですが、 その資金が必要だっていうことも意識しながら多分進めたと思うのですけれども、 具体的にどんな感じのことを一番意識されましたか。 古川:赴任してすぐ、管理部だとか地域整備部だとかそれぞれの部の現状について 説明があった訳ですけれど、それを一通り聞いて、 企業庁はこんな状況なのだなっていうのがわかった段階で、その後財務課の 中堅くらいの人だと思いますけど、実はっていう話に自分のところに来て、 「来年企業庁は銀行から借り入れをしなければいけなくなるかもしれません。 現在保有資金は150億しかありません。 企業庁の経営が、1年間の経営としては約200億、やっぱり債務返済を含めて 現状の組織を運営していくとなると、200億円必要です。」と。 「保有資金は150億円しかありません。銀行から借りなきゃいけなくなる かもしれません。」という話がありました。その時に僕が思ったのは そういうのは資金計画があれば数年前からわかっていたはずだと考えて、一体全体 どうしたらいいんだろうっていうので、管理部長、それから事業整理課長と相談して、 とにかく危機意識をきちっと持ってもらわない事には、収束に至らないぞ ということでしたね。200人を集めてとにかく現状を説明しようと。 そのためには収束に向けた現状と課題、それをきちっと整理して 準備しようということで始まったのですけどね。 その時はみんな大変な作業をしてもらったのですけれど、それぞれ課題を どう整理するかっていうところから始まって、企業庁の柱というのは、 土地造成事業と工業水道事業、土地造成事業を整理するにはまだ自分たちが持っている 資産、収入源、それから債務、債務は当時1千数百億円あった訳ですけれども、 それをきちっと返済できるという計画を立てなきゃいけないと。収入と掛かるもの、 それから今やっている事業はあといくらくらい掛かるのかていう話ですね。 それから市町村と約束していた都市計画道路の整備だとかその負担金が どれくらいあるのかだとか、そういった事をきちっとやんなきゃいけない。 今、企業庁は土地造成するときにいろんな公共施設を造るわけです。 道路とか河川だとか下水道だとか、そういったものを将来の管理者、 県だとか市町村に引き渡しをしていかなくてはいけない。 それは正常な形で引き渡ししなければいけない訳で、その引き渡すために必要な金、 それからそれまでの維持管理の金、費用、それがどのくらいあるのかと、 そういったところ、細かいところまで随分詰めさせていただいて、 それが出来ないと資金計画が成り立たないものですから、 それをみんなで事業整理課を中心に進めたということですよね。 聞き手:実際儲けられるところだとすると幕張新都心だったのですけれど、 まだまだちょっと残地があった。幕張新都心なんかどんな感じだったのですかね。 古川:幕張新都心については要するに虫食い状態で分譲してしまっていた訳です。 これじゃあ、スムーズな分譲ができないというので、分譲済みの地権者と相談して、 分譲済みの土地を一か所にまとまるように交渉したのですね。できるだけまとまった 広い土地が、虫食いでない土地が残るように、それはあの地域整備部と話をして、 まあ一所懸命にやっていただいて。ですから今あの桜が植わっているパナソニックだとか、 ああいった土地はみんな一度契約した土地を向こうに移してもらったと。 そういったことで現在のあのイオンが建っている。イオンが立地したような広い土地を キープしてスムーズな分譲ができるようにということをいろいろ苦労してやってきた訳ですね。 聞き手:残った土地の処分をしながら行きつくところはやっぱり、最後は借金の返済ですよね。 借金の返済の関係ってのがやっぱり意識されたのですか。 古川:当然その千数百億円という金は大きな返済額ですから、それを返すためには、 やっぱり企業庁の資産としては土地しかない。 土地は値上がりを待っても塩漬けになっていれば、全然元気にならない。 僕がいつも思ったのは、現金を持ってない、キャッシュフローが無い企業、 これは黒字でも会社が潰れるか潰れないかって話。だからキャッシュフローが 無いってことは、ものすごい大変な事なんです。でやっぱり必要な額っていうのかな、 そういう企業庁の保有資産っていう物をきちっと持ってなきゃ収束も出来ない。 そういったことで、売れる土地は売りますということで、 副企業庁長の時に2年間あったものですから、1年ごとに企業の方々に集まって頂いて、 どこにどういう土地があって、坪いくらですよと。説明もさせていただいたんですね。 積極的に企業庁としては土地を分譲しますということの意思表示をしっかり させてもらいました。そういうことでちょうど土地とか、不動産が動き始めた時ですから、 僕が企業庁長になった平成18年には500億円ぐらいの保有資金をきちっと貯めて 企業その企業債の返済、それもなんとか目途がついたような感じだったですね。 聞き手:土地の回転を見つけるのも、本当にあんまり公務員は得意の分野じゃないですよね。 ですからその辺の営業ですけども、その辺なんかどんな感じだったのですかね。 古川:難しい、それは難しい質問だけどね。 聞き手:でも結構売れていって、いきましたね、おかげ様で。 古川:要はやっぱり、千葉県の企業局の土地造成っていうのは ここまで進んでいてどこにこんないい土地がありますよと。 それから将来的にやはり利便性が良くなるということ。 そういったことをPRしたというのがやっぱり一番なんです。 企業庁は武士の商法じゃないけど売り下手なんですよ。そういうことで あの頃はもう必死になってみんな売りに歩いたということだと思いますね。 そういう動きがくればそれがだんだん広がるんですよ。そういう意味で 500億円という保有資金ができたというのも、本当にみんなの努力なんですよね。 聞き手:その500億を、今度は貸してくれって話もあったかと思うのですけど。 古川:それはあの知事部局の方に一般会計に70億円を、企業庁の資金からお貸ししたと。 そういう事がありましたけどね。資金計画の説明に堂本知事のところに伺った時に、 「この中に私が借りた70億円は入っているの?」という質問があった訳ですが、 「企業庁は返す当てがないところにはお貸ししません」と一言、お返しして 大笑いした話ですけどね。だから500億円が700億円くらいになった時も あったのだけれど、500億円っていう資金を持っているってことは千葉県にとっても、 その非常にいい話なのですよ。要するに銀行じゃなくて自分のところで融通できる現金が あるってことは、非常にダイナミックな弾力性のある県の経営ができるっていう意味では やはり公営企業の保有資金というのもやっぱり大事な話なんだろうと思っていますよ。 大きな資金をきちっと持っているってことは、非常に県政のうえで、大事なことなのですよ。 例えば、大災害が起きました、そういったときに県が独自にやっぱり災害復旧をできる、 復興できる、そういった資金にもなりうる話ですから、 そういったことは絶えず余裕のある資金をどっかに持っている。 それは県政にとって大事な事だと思うんだよね。 そういう意味でやっぱり公営企業というのも大事な話なんですよね。 地方自治体もそうですし公営企業もそうですけど、 ひとつの企業と同じような感覚、感性を持っていないと、その経営というのは なかなか難しいのですよね。だから税金の税収が上がればいいっていう話じゃなくて、 それだけだとあのやれる事が限られてくる。そうではなくて、 やはりその県のアイデンティティっていうのかな、千葉県らしさをどうやって作っていくか、 そういったことにも使える、保有資金、いつもそのそういうことを頭ん中に置いとかないと、 県政の経営というのは非常に難しいんだというふうに思うけどね。 聞き手:今更かもしれませんけど、(企業庁に)お帰りになって収束という話になって、色々と あったかと思いますけども、一番大変だったと振り返った時に思う事って何ですかね。 古川:一つ一つの問題を一つ一つ解決していく。それの積み重ねなんですよね。 だから大枠は大枠でこう決めておいて、そこから出てくる一つ一つの問題に、真正面から取り組む。 それが一番大事な話で、それを毎日毎日企業庁の職員と一緒にやれた訳ですから、 それが今でも、あの当時僕も勉強していた訳で、 あの当時の勉強が僕の今の姿になってるんだろうと いうふうに思っていますけどね。それが宝ですよね。 とにかくあの企業庁職員一人一人がみんな自分の事のように 頑張ってくれたね。それが嬉しかったですね。 聞き手:貴重なお言葉を最後に頂きました。ありがとうございました。 古川:こちらこそありがとうございました。