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更新日:令和7(2025)年1月24日
ページ番号:707426
(さいひろかいづかしゅつどこっかくかいせいそうしんぐ)

県指定有形文化財(考古資料)
令和3年3月19日
市原市能満1489(市原市埋蔵文化財調査センター)
西広貝塚は、縄文時代後・晩期の、房総半島の東京湾沿岸に分布する大規模貝塚の一つである。昭和47年(1972)から昭和62年(1987)にかけてほぼ全域が発掘調査され、発掘された貝層全てを水洗することにより、総数約5,600点の骨角貝製品を検出した。これら骨角貝製品には、銛頭、釣針、ヤス等の利器も含まれるが、その中心は約3,760点出土している装身具である。
西広貝塚の骨角貝製装身具には、髪針、垂飾、腕輪、腰飾等がある。この中で垂飾が最も多く、素材となる骨、牙、貝の形状を活かしたものに加え、玉状、管状、札状に加工したものもある。素材からみると、骨角製品には、サメなどの魚類、ウミガメ類などの爬虫類、カモ類などの鳥類、シカ、イノシシをはじめ、キツネ、ムササビなどの陸獣、イルカ、アシカなどの海獣といった様々な動物の骨、角、歯牙が利用され、自然界のあらゆる舞台に暮らした縄文人の特色をよく表している。これらの中にはムササビのように現在房総半島に生息しない種も含まれ、当時の動物の生息域や縄文人による動物利用の様相を推測する資料としても重要である。
貝製品には様々な貝種が用いられており、その産地も多岐にわたる。特に注目されるのは、房総半島南部で採取されたと考えられるタカラガイ類等と伊豆諸島南部で採取されたと考えられるオオツタノハである。タカラガイ類は通常は垂飾として利用されるが、西広貝塚では製品よりも加工残骸が多く出土している。このことにより南房総で採取されたタカラガイ類が西広貝塚において製品に加工され、各地に流通したことがうかがえる。また、オオツタノハは腕輪の材料となる大型の希少な貝類だが、西広貝塚からは日本列島最多級の15点が見つかっており、ここを拠点とした各地への流通が想定される。これらのことから、西広貝塚は貝製品の加工・流通の拠点であったと推測される。
そのほか竪穴建物内に埋葬された小児遺体に副葬されたタカラガイ類製品(護符)や、赤彩された貝殻など、縄文時代の精神文化の一端を現わす事例も含まれる。
西広貝塚の骨角貝製装身具は、東京湾沿岸の後晩期の大規模貝塚から出土する骨角貝製品を代表する事例であるともに、西広貝塚が貝の流通や加工の拠点的な集落であったことを示していることなど学術的価値が高く重要である。
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