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更新日:令和2(2020)年5月7日
ページ番号:315005
(こうしょうじのおにまいめん)
県指定有形民俗文化財
昭和29年12月21日
成田市冬父86(迎接寺)
迎接寺の鬼舞がいつごろから行われたのか定かではないが、縁起ではこう伝えている。長徳3年(997)恵心僧都がこの地に住んでいたが、ある時、僧都がにわかに悶絶し、夕方に蘇生した。この時、感得した地獄極楽の様子と阿弥陀如来の衆生済度の姿を伝えるため、法会を行うこととし、翌長徳4年(998)に鬼仏十二の御面像を彫刻した。そして33年に1度これを開帳することになったといわれている。江戸時代中期、正徳5年(1715)に発行された『佐倉風土記』には、冬父に「鬼の舞」という芸能があり、非常に賑わっていると記されている。しかし、迎接寺の鬼舞は昭和22年(1947)を最後に途絶えてしまった。
鬼舞の内容は、生前に悪行のあった女が地獄に堕ちて鬼や奪衣婆に苦しめられているところを観音菩薩に救われて、阿弥陀浄土に迎接するまでを表すものであった。すなわち、この鬼の舞は、本尊である阿弥陀三尊像への信仰をより強化するものでもある。
迎接寺には、鬼面が5面、幽霊亡者の面など8面、そして全盛期に用いられたと思われる縫いぐるみ衣装が寺宝として保存されている。これらは、横芝光町広済寺の「鬼来迎面」、小見川町下小堀の浄福寺に伝わる「鬼舞面」などとともに、この地域に同様の信仰と芸能が広く根付いていたことを示す重要な資料である。
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