ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 文化財の指定と登録 > 県内の国登録有形文化財 > 亀山神社社殿
更新日:令和8(2026)年2月20日
ページ番号:733875
(かめやまじんじゃしゃでん)
県登録有形文化財(建造物)
1棟
令和7年2月26日
君津市滝原114(宗教法人亀山神社)
君津市の南東部、蛇行する小櫃川(おびつがわ)に三方を囲まれた袋状の土地に亀山神社は位置する。泉竜寺から南下する参道上、石鳥居の先に立つ山門は、西面する社殿と軸線を揃える。今日の亀山神社は、地元では「滝の不動」とも呼ばれ、不動堂として信仰を集めてきた。明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以後、亀山神社に名称を改め、不動堂は社殿となり日本武尊(やまとたけるのみこと)が祭神として祀られるようになった。一方、仁王門は神社の山門となり、仁王像は寺へと移された。その後皇紀2600年を機に、社殿に幣殿と本殿を建築、本殿に須弥壇と宮殿が移動されて、社殿は拝殿となった。
亀山神社社殿は、本殿・幣殿・拝殿および本殿内の須弥壇・宮殿からなる。
拝殿は、方三間、入母屋造、銅板葺である。屋根は昭和7年(1932)に茅葺から改修。建築年代は、別当寺であった泉竜寺の文書によると享保10年(1725)と伝えられ、棟札の有無は不明ながらも、須弥壇から同時期製作の墨書が発見されており、拝殿の建築様式にも矛盾はない。また、近年の調査により、文化年間に縁廻りの修理や須弥壇彩色の塗り直しが行われたことが判明し、山門(旧仁王門)の普請とあわせて、寺院の再興が行われたことが知られる。
当初の平面構成は、内外陣境に結界を設け、来迎柱の前に須弥壇を置く仏堂の形式であったことが、拝殿内各部材に残る痕跡からわかる。内陣の天井は、須弥壇と同時期に製作された宮殿屋根が納まるように、中央間が高く造られている。(今日須弥壇と宮殿は、本殿内に納められている。)
欅材からなる禅宗様の須弥壇には高欄を回し、正面に蕨手、腰に唐獅子牡丹の彫刻。宮殿は、漆塗金箔張り錺(かざり)金物付の桟唐戸(さんからど)に牡丹の彫刻、小脇板に登り竜下り竜の彫刻。軒廻りを重厚感のある詰組(つめぐみ)とし、軒唐破風(のきからはふ)を設け、赤色の彩色を施す。
現在内外陣境に建具はなく、床は全面畳敷きとする。外陣の天井には、中央間に竜、両脇間に迦陵頻伽(かりょうびんが)の絵が描かれており、後者には「彩色師 西畑板谷村 君澤芳朝」の墨書と落款が確認されている。
軒廻りは出組で丸桁(がぎょう)を持ち出した二軒(ふたのき)の化粧垂木(けしょうたるき)、支輪板に鱗で覆われた竜の胴体を彫り込む。また、周囲各間の蟇股(かえるまた)には干支の動物が施されている。外部内部ともに、赤色を基調とする彩色が施されていた。
向拝は、江戸時代後期頃に改修されたものと推測されている。特に、軒唐破風の立体的な大型の竜の蟇股が際立つ彫刻群は、類似の形式が大山寺本堂・飯縄寺(いづなでら)本堂などにも見られ、地域の特徴を表す。
昭和15年(1940)年に幣殿と神明造の本殿が増築されたことにより、今までの社殿が拝殿となり、複合社殿として完成された。
幣殿は、拝殿背面中央間と柱を共有し、両側面に欄間窓、同中央間に窓を設け、両下造(りょうさげづくり)の屋根は瓦棒葺。
本殿は、既存の須弥壇が納まる最小限の平面規模とし、コンクリート造の基壇上に簡略化された神明造で造られ、周囲に玉垣を回す。銅板葺の屋根には千木と鰹木を乗せる。いずれも彩色はない。
江戸時代には不動堂として、近代以降は亀山神社に改められ、この地域信仰のよりどころは社会の変化を受けながらまもられてきた。亀山神社の社殿と山門は、神仏混淆(しんぶつこんこう)の名残を目に見えるかたちで伝える建築である
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください