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更新日:平成24(2012)年3月28日

千葉県の観光

ちばの街道を歩こう~水戸街道編 松戸市・我孫子市

水戸街道は、江戸時代に江戸から、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城があった水戸をつなぐ街道として整備されました。このうち、松戸市から我孫子市までの間の街道沿いには、水戸徳川ゆかりの史跡や、志賀直哉など、大正から昭和に活躍した多くの文化人が過ごした別荘や住居などが残っています。
水戸街道をめぐりながら、ちばの歴史や文化に触れてみませんか?

動画の内容

現在の水戸(みと)街道(かいどう)。このうち、松戸市から我孫子市までの街道周辺には、今も徳川家ゆかりの史跡(しせき)や大正時代に活躍した文化人の住居などが残っています。
今回は、地元の歴史に詳しい方の案内のもと、水戸街道を歩いてみました。

当時、江戸を出発した旅人は、この江戸川沿いの関所を通って、松戸(まつど)宿(じゅく)に入りました。
「この先に、金町(かなまち)松戸(まつど)番所(ばんしょ)というのが開かれました。そしてその後すぐに、そこが金町(かなまち)松戸(まつど)関所(せきしょ)と昇格したんですね。」
当時、宿場の境(さかい)には杭(くい)がたてられていましたが、現在は「是(こ)れより御料(ごりょう)松戸(まつど)宿(じゅく)」の碑(ひ)が立てられています。また大名の休憩所や宿泊所であった本陣(ほんじん)跡(あと)には、案内板が立てられています。

少し歩くと、徳川光圀公(とくがわみつくにこう)ゆかりの松戸神社があります。光圀公が境内(けいだい)の大銀杏(おおいちょう)の上の白鳥を射ようとしたところ、弓が折れてしまいました。そこで折れた弓矢を奉納して神前に陳謝したという言い伝えが残っています。
「弓が見えますね。水戸黄門がやんちゃなことをしたので、その記念になってますね。」

次に訪れたのは、戸定邸です。
「この建物は明治17年、今から123年ほど前に建てられております。建てた人は15代将軍徳川慶喜の弟で、水戸家11代藩主でありました徳川昭武のお屋敷として建てられております。見た目は華美ではありませんけれども、水戸家の気風を取り入れまして、質実剛健ということで、杉の柾目材をふんだんに使いまして、一級の大工技術によって建てられておりますので、専門家によりますと、あと500年くらいもつと言う方もおられます。欄間、それから釘隠し、それから引き手には葵の葉をデザインしております。」
廊下の天井には、長さ12.5mの一本杉の梁が使われるなど、まさに質実(しつじつ)剛健(ごうけん)といった雰囲気が感じられます。
また、ここから見える富士山の景色は関東の富士見百景にも選ばれているのです。

水戸街道を北に進むと、次の宿場町、小金(こがね)宿(じゅく)に着きます。ここ東漸寺(とうぜんじ)は、小金宿の中心にあります。
「ここは徳川家が指定した浄土宗の十八檀林、檀林というのはお坊さんの学校ですけれども、そのひとつに選ばれています。ですから、いろいろなところに徳川家の家紋があるのがお分かりかと思います。」

こちらはかつて旅籠(はたご)であった玉屋(たまや)。
「玉屋さんは小金宿で唯一残る旅籠です。くぐり戸がそこにありまして、そこから入りますと、あぁ、江戸の昔という感じに、皆さん感じられるかと思います。」

続いて訪れたのは、我孫子市にある旧村川(きゅうむらかわ)別荘(べっそう)。もともと、我孫子(あびこ)宿(じゅく)にあった本陣の離れ屋を大正10年に移築したもので、歴史学者であった村川(むらかわ)堅固(けんご)の別荘として使用されました。のちに朝鮮風の新館も建てられ、日本(にほん)家屋風(かおくふう)の母屋とは対照的な趣きです。

手賀沼のほとりに集まる白樺派(しらかばは)ゆかりの地を歩きます。
「ここは7年半住んだんです。これという代表作はここで書かれています。」
志賀(しが)直(なお)哉(や)が書斎に使っていた離れが復元されています。
白樺派の一員で、民芸運動の父と呼ばれる柳(やなぎ)宗悦(むねよし)邸。特別に中に入れてもらいました。

さて、徳川家と白樺派のゆかりの地を訪ねた(たずねた)今回の水戸街道めぐり。参加された方の感想は?
「僕らの知っている松戸、我孫子以外の新しい面を今日は見せていただき、本当に楽しかったです。」

江戸時代にはじまり、大正・昭和の歴史や文化にふれる水戸街道めぐり。秋の散策に訪れて(おとずれて)みませんか?

「ウィークリー千葉県」