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更新日:令和3(2021)年5月13日

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平成26年度第5回景観セミナーの開催結果

セミナーの概要

平成26年度第5回景観セミナーは、千葉県と多古町の共同開催により多古町で開催しました。

講師の秋田先生から、新たなまちづくりや建物の更新により生み出される生活景と、長年に渡って培われてきた美しい自然景について、御解説いただき、これからの「景観(情景)」への取り組みの大切さについて御講演いただき、多くの参加者から御意見や御感想をいただきました。

「私たちにできるまちづくり」~多古町の景観を考える~

日時:平成27年3月1日(日曜日)13時45分~15時50分
会場:多古町コミュニティプラザ3F多目的ホール
内容:講演

講師:秋田子(あきたのりこ)氏(千葉大学大学院園芸学研究科教授)

開催案内チラシ(PDF:2,047KB)

多古町の景観

  今日、多古町に初めて来ましたが景観の観点から地形をみると、川があり、農地があり、丸く集落があるのがわかります。また、多古町の「古」は「湖」のことと聞いています。縄文式土器が出土していることからも、氷河期が終わり、海面が上昇して、リアス式海岸を形成していたなごりではないでしょうか。つまり、ちょうど、海と陸地の際(きわ)が多古町ということです。このような海からのなごりがあり、縄文時代からの歴史がある町が多古町ですから、地形も含め、多古町は景観上すばらしい資源をもった町だと言えます。また、景観を語る上で「良いまち」の条件にお祭りが沢山あることがあげられますが、この点でも多古町は「良いまち」だと評価できると思います。一方で、多古町の人口は現在1万6千人弱で、毎年、現在のペースで2~300人減少していったとすると、80年後には0人になります。実際には、住民が0人になるかわかりませんが、町に大きな影響が出ることは必至です。

景観と風景

  「景観」も「風景」も英語では「ランドスケープ(landscape)」ですが、海外の方は「風景」と「ランドスケープ(landscape)」は違うと認識しています。「風景」は「風が流れるように景色をみる」という字のごとく、「日本人の文化」+「ランドスケープ(landscape)」と言えます。目に見えるものが「景観」、文化としての景観が「風景」とわけてみても、私達は「景観」を自分の中にある文化とマッチングしてみています。例をご覧いただくと、よくわかりますが、日本的な景観感が「風景」を生みだしていますので、実は、私達は、目で見るだけでは、正確な「景観」をもとらえてはいません。そこには、必ず、文化的要素があるのです。

景観の読み方

  「景観」には読み方があります。「古代エジプトの壁画」と「風景画」の違いは何でしょうか。それは、遠近感、つまり空間があるかどうかです。中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)という山水図(さんすいず)は、複数の「風景」を描くことにより、見る人や見る物がかわっても、「美しい風景」を共有することを目指したとも言えます。さらに、瀟湘八景(しょうしょうはっけい)には、自然の美しさと人物が描かれています。この自然の美しい場所と人の営みの織りなす空間によって「景観」が生まれるのです。「景観」には、主体である人(見る人)がいて、対象があります。見る人が何を見るのかが「景観」ですから、見る側が変われば、見え方が違ってきます。自分と他者だけではなく、自分の状態(立位、座位、徒歩、乗車など)によって「風景」は変わります。このように、「景観」や「風景」はとても言葉では定義しにくいものですが、複数の例を共有することにより、共通の認識を持つことができるのではないでしょうか。

観が大切なわけ

  最初に、英語の「ランドスケープ(landscape)」のお話をしましたが、日本人の「景観感」は世界からみると特別です。風景を思い浮かべる、「花冷え」「晩春」「春寒」「梅雨寒」などの言葉は、英語だけではなく、どの他の言語でも表現できません。このように、日本人はきめ細かい風景感をもっています。日本人は季節の流れの中にあるひとつの瞬間をとらえ、流れを嗜好しているのではないかと思います。その意味では日本人は空間(風景)に対し受動的であると言えますが、現代の資本主義社会では、この「あるがままの美学」は通用しません。今から10年位前、景観法が施行され当時、いくつもの地域で、そこに住まう人々が当たり前だと思っていた「風景」が、突然なくなってしまう可能性を含む出来事がありました。例えば、現代の資本主義の中では、誰かが何かをアピールする時、派手な大きな看板のようなものがつくられます。看板は、特定の人(電車内の人など)に向けて情報を発信しています。看板の善し悪しではなく、なぜその看板が必要なのかを考えて、生活景を整える事により、「景観」が再生されるのです。美しい「景観」は発見することも、直すこともできます。「風景(空間)」の乱れは地域の乱れにダイレクトに伝わりますから、多古町が「町」として存在していくためにも、景観の取り組みはとても重要なことです。地域で守るべきものがわかれば、自然と景観が整い、景観が整うことで、地域が活性化します。是非、冒頭でも申し上げた多古町の素晴らしい「景観」を守っていってください。

秋田典子氏

会場の様子

 

【参加者からの主な御意見・御感想(要旨)】

  • 景観は人の営みと自然があって成立するということが、よくわかりました。
  • 農村部に住んでいるので、ビル群は憧れの一つですが、景観を考え直すよい機会になりました。
  • 自分のまちが、地形、景観などにおいて、素晴らしいまちであると再発見することができました。
  • 先生のお話がわかり易く、多古町がさらに里山(自然)の美しい町になったらうれしいと思いました。
  • 景観の捉え方の変遷、日本人と古代の外国人の景色の捉え方の違いがよくわかりました。

お問い合わせ

所属課室:県土整備部公園緑地課景観づくり推進班

電話番号:043-223-3279

ファックス番号:043-222-6447

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