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更新日:令和2(2020)年9月23日
ページ番号:5911
御成街道は、江戸時代の初め、徳川家康が東金へ鷹狩りに出かけるために作られた街道です。
家康の命を受けた老中佐倉藩主土井利勝は、船橋から東金間約37キロの沿道の村97ヶ村の農民を総動員し、三日三晩で造ったといわれています。
街道沿いには、徳川家にまつわる社寺(船橋東照宮、金光院など)や屋敷跡(御茶屋御殿・東金御殿)が点在しています。
“ちばの街道を歩こう・御成街道を歩く”
平成18年9月16日(土曜日)
総勢約40名の方々とバスと徒歩で御成街道の魅力にふれてみました。
8時45分 | JR千葉駅前集合 ↓*バス移動 |
9時15分 | 御成台入口交差点到着 ↓*徒歩 提灯塚・高札場跡・金光院・御茶屋御殿 ↓*徒歩 |
11時50分~12時45分 | 昼食・市乳育成牧場 |
12時45分~12時50分 | バス移動 (八街市)旧道見学(バス下車) |
13時20分~13時55分 | バス移動 |
13時55分~15時15分 | 徒歩 (東金市)日吉神社・本漸寺・東金御殿 ↓*バス移動 |
16時30分 | JR千葉駅解散 |
立ち寄った場所 | 種類 | 位置 | 説明 |
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提灯塚 | 史跡 | 千葉市 千城台東 |
街道の8ヶ所にあった一里塚のひとつで、造成のとき、直線を定めるため、この塚に昼は白旗、夜は提灯を揚げ、工事を行ったという。 |
金光院 | 社寺 | 千葉市 金親町 |
元和元年(1615)に家康がこの寺に宿泊したといわれる。山門は御茶屋御殿の裏門を移築したものと伝えられている。 |
御茶屋御殿跡 | 史跡 | 千葉市 御殿町 |
船橋を基点に東金まで続く御成街道の中間地点にある、一重の空堀と土塁とに囲まれた方形状の館跡である。 |
日吉神社 | 社寺 | 東金市 大豆谷 |
大山昨命(おおやまくいのみこと)を祀っている。表参道の杉並木は、東金市の天然記念物にも指定されている。 |
本漸寺 | 社寺 | 東金市 東金 |
家康が東金御殿に宿泊したとき、境内に自ら植えたといわれる金柑の木がある。 |
東金御殿跡 | 史跡 | 東金市 東金 |
慶長18年から19年(1613~14)にかけて建てられた、家康・秀忠のための休憩・宿泊施設。現在の東金高校。 |
名称 | 位置 | 説明 |
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八鶴湖 | 東金市 東金 |
東金城跡に連なる山々を背に広がる周囲約800mの美しい湖。もとは小さな池だったものを、徳川家康の東金御殿建設の際に大きく開削され、現在の姿になったと伝えられている。 |
名称 | 位置 | 説明 |
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常磐神社(意富比神社) | 船橋市 宮本 |
通称「船橋大明神」と呼ばれる意富比神社、その境内の東側に建つのが常磐神社である。慶長13年(1608)に建立され、祭神は、本殿が日本武尊、相殿の左が東照宮、右が秀忠公である。 |
元観音堂 | 千葉市 稲毛区長沼町 |
三代将軍家光が鷹狩りの際に愛馬が死んでしまったことから、その屍を葬り供養するために建てたといわれている。 |
名称 | 位置 | 説明 |
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和良比大六天の はだか祭り |
四街道市 和良比 |
毎年2月25日、大六天の和良比の皇産神社に伝わる奇祭。ふんどし一つの若者が近くの神田で泥をぶつけ合ったり、相撲をとる。 |
名称 | 位置 | 説明 |
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船橋御殿跡(東照宮) | 船橋市 本町 |
慶長19年(1614)前後に造営。家康が鷹狩りに出かける際に使われた。同地は船橋大神宮神職の富氏に払い下げられ、家康を祀る東照宮を建立したと伝えられている。 |
魂霊坂と道標 | 東金市 黒田 |
天正18年(1590)に家康軍に敗れ、ここで亡くなった酒井氏の家臣を大木の根元に奉ったことにより、この名が伝えられている。この坂を東金方面に下ると、右側に道標がある。 |
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