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更新日:令和5(2023)年10月5日
ページ番号:2643
中学生部門 千葉県知事優秀賞
筑波大学附属聴覚特別支援学校中学部2年
鈴木理子(すずきりこ)
私は小学一年生の時、母に勧められてスイミングスクールに通い始めました。初めてのスイミングの日、私はとても楽しみでワクワクしながら行きました。しかし行ってみると、周りは聞こえる人ばかりでした。不安でいっぱいになりました。
私は「自分は耳が聞こえない」ということをずっと前から知っていました。赤ちゃんの時から「補聴器」をつけていたからです。周りには「聞こえる人がいる」ということも分かってはいました。父や母は補聴器をつけていません。親戚の人も、電車やバスに乗っている人もそうだからです。「私は周りの人とは違う」とは思っていましたが、赤ちゃんの時から聾学校に通っていて、補聴器をつけた友達と毎日一緒にいるのが当たり前で、家族以外の聞こえる人とかかわり合うことはあまりなかったのです。
私は、聴覚に障害があることをスイミングのみんなに言えませんでした。みんなの前で補聴器をつけることすらできませんでした。なぜなら、そうしたら仲間外れにされるような気がしたからです。「みんなと違う」ということを「恥ずかしい」と思っていたのかもしれません。でも、どうしても友達がほしいと思い、一人の女の子に声をかけました。自分の耳のことはやはり言えませんでした。話している時、その子が何を言っているか分からず、適当に答えてしまったことがありました。多分その子は、「この人少し変だな。」と思っただろうと思います。でも、一緒にいられる友達にはなれました。嬉しく思いました。
その頃から、「なんで周りの人と違って自分は聞こえないの?」と思うようになり、母に「ねえ、何でこんな私を産んだの?」と言ってしまったことがありました。母は、「大丈夫だよ。」と言ってくれました。
小学五年生になると、スイミングでは上級者コースに入り、厳しい練習が続きました。そんななか、ある一人のコーチが私に優しく対応してくれました。私の耳のことを理解し、口を大きく動かし、ゆっくり話してくれたのです。私はとても嬉しかったです。私が分かるようにと気を遣って話す優しい人が、この世の中にはいるのだなと思いました。親戚の人だって思い返してみればそうでした。ゆっくり話してくれる人がいました。聞こえる人の中にいても「こわくない」と思いました。スイミングの友達にも、自分の障害のことをきちんと伝えていれば、もっといろいろなことを話せる友達になれたと思いました。
ある年の大晦日に、家族で紅白歌合戦を見ていました。私は楽しくて、夢中になって歌や話を見たり聞いたりしていました。ふと家族を見ると、父も母も楽しそうに笑って見ていました。私と同じように聴覚に障害がある姉も、楽しそうでした。その時、私は思いました。障害があってもなくても関係ない。自分らしく楽しめばいい。「大丈夫だよ。」と言った母の言葉の意味が、初めて分かったように思いました。
私は、泳ぐことが好きです。だから厳しい練習にも耐えられました。泳ぐことが好きな仲間と一緒に、練習に励むのは幸せでした。音楽もそうです。リズムや歌詞が少し分かるだけですが、今では私は音楽番組を見るのが大好きです。音程がとれず下手ですが、歌を歌うことも楽しいです。「障害があってもなくても関係ない。自分として生きていけばいい。」そう思えるようになったのは、家族や友達、スイミングの仲間やコーチ、いろいろな人達と経験を共にしたからこそだと思います。「聞こえる人はどんなふうに聞いているのだろう」「どのように考えているのだろう」と思うことがあります。これからは、もう少し勇気を出して、周りの人達に自分のことを伝え、お互いのことをもっと分かり合えたら、と思っています。
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