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更新日:平成29(2017)年7月11日

伊能忠敬出生地

(いのうただたかしゅっしょうち)

伊能忠敬出生地

種別

県指定史跡

指定日

昭和44年1月10日

所在地

山武郡九十九里町小関(個人)

概要

日本国中を測量し、「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を作ったことで知られる伊能忠敬は、上総国山辺郡小関村(やまのべぐんこせきむら、現山武郡九十九里町小関)の名主であり、いわし漁の網元をしていた小関家の二男(幼名:三治郎)として延享2年(1745)に生まれた。

父は、旧姓神保で小関家に婿入りしたが、三治郎(忠敬)が6歳のときに妻が亡くなったため、兄、姉を連れて武射郡小堤村(むさぐんおんずみむら、現山武郡横芝光町小堤)の実家に戻る。三治郎(忠敬)は、10歳までは小関家で生活し、その後神保家に引き取られたが、宝暦12年(1762)17歳の時に、神保家と伊能家の両家と深い親戚関係にあった平山家の養子となり、改めて佐原で酒造業などを営んでいた伊能家の養子となった。

忠敬は、小さいときから学問に親しむ環境が整った家に育ったことから、数学、測量、天文学等を勉強し、また、国内の旅行をするなど、幅広い教養を身につけていった。50歳の時に隠居して、江戸に出て暦学の大家高橋至時に師事し、西洋天文学を学び、やがて日本国の正確な地図を作ることになった。

昭和12年(1937)、地元の人々の努力により、明治時代の文学者徳富蘆花の兄である言論人徳富蘇峰の筆による「伊能忠敬先生出生之地」と刻まれた記念碑が建てられた。また、現在は、忠敬誕生250周年と町制施行40周年の記念事業として小関の生家跡に忠敬の銅像が建立され、公園として整備されている。

伊能忠敬出生地2

よくある質問

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