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更新日:令和5(2023)年5月11日

ページ番号:315127

初代松本幸四郎墓

(しょだいまつもとこうしろうはか)

初代松本幸四郎墓

種別

県指定史跡

指定日

昭和40年4月27日

所在地(所有者)

香取市小見川377(善光寺)

概要

初代松本幸四郎(1674~1730)は、香取市小見川の島田家に生まれ、元禄年間(1688~1704)の初め江戸に出て久松多四郎の門に入り、最初は松本小四郎と名乗った。元禄9年(1696)森田座における「平親王将門」に能王丸を、元禄14年(1701)正月市村座の「持統天皇却移」では大友皇子役で喝采を博した。

享保元年(1716)に幸四郎と改名、享保13年(1728)11月に「弁慶」の当たり役で喝采を浴び荒事立役を最も得意とした。弁慶の上演回数は実に千数百回に及び、2代目市川団十郎と並び当代の名優と称せられた。

善光寺の墓石には幸四郎と先妻および近親者の3名の法名が刻まれている。この墓は、幸四郎の死後20年以上経ってから、近親者の没年である寛延4年(1751)以降に建立されたものである。初代松本幸四郎の墓は、東京都文京区の栄松院にもあり、こちらも妻の死後に建てられている。善光寺の墓は、その存在によって初代松本幸四郎が小見川の出身であることが確認されたということに意味がある。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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