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更新日:令和6(2024)年2月8日
ページ番号:315205
(かじんいとうさちおのせいか)
県指定史跡
昭和25年11月3日
山武市殿台393(成東町)
伊藤左千夫は、江戸時代末期の元治元年(1864)8月18日に上総国武射郡殿台村(現在の山武市殿台)に、農家であった伊藤重左衛門家の末子として生まれた。
若くして東京に出て、牛乳搾りをするかたわら短歌を学び、37才の時に正岡子規の門に入った。子規の没後は、雑誌「馬酔木」、次いで「アララギ」を創刊し、特にアララギ派の初期の推進力となった。歌風は万葉集を尊重して雄大であり、東洋的な諦念が底流するといわれている。門下からは島木赤彦、斉藤茂吉、土屋文明、古泉千樫(第1巻88頁)など近代短歌史を彩る優れた歌人を輩出している。
殿台の生家は、約200年前の建築で、この地域のごく一般的な中農の家構えで、約400坪の敷地には、茅葺平屋建ての母屋やと土蔵が残っている。
また、敷地内には茶室も残されているが、昭和16年(1941)現在地に移築され、生家とともに保存されている。これは東京本所茅場町の自宅の傍にあったもので、同じ山武郡出身の友人であった蕨真(けっしん=蕨真一郎(わらびしんいちろう))から贈られたものであり、唯真閣とよんで終生愛着をもっていたと伝えられる。
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