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更新日:令和6(2024)年2月8日
ページ番号:315193
(きたのこうやのししまい)
県指定無形民俗文化財
昭和39年4月28日
東金市北之幸谷(稲荷神社)
北之幸谷は約200戸からなる村落であるが、そこにはかつて獅子連が3つあった。うち1つは早くに無くなったが、中地区の本郷獅子連と堀の内・宮の前地区の本地獅子連は今も活動が続けられている。指定されているのはこのうち最も活動が盛んな本地獅子連の獅子舞である。九十九里町の西野地区から伝わったものといわれ、毎年2月、10月、11月に鎮守の稲荷神社を中心に演じられる。1年の生活の中に獅子舞が根付いている。
まずは2月の初午の日が獅子舞の始めとなる。この日は村人が「御逮夜」として持ち回りのヤドの家で共同飲食をした後、2人一組の獅子舞が氏子の家を1軒ずつ舞って廻る。
次は10月19日の秋祭である。午前中は神社で神事の後、村廻りを行う。以前はこの後、夕方から「平舞」「四つ足」「玉つり」「蛇狂」「蛙狂」「千丈ヶ嶽の子落し」「お染」「剣の舞」「岡崎」など滑稽な狂言劇風の獅子舞が舞われ、その他にも真夜中までかけて、素人芝居や歌・踊りなど、さまざまな演芸が披露された。最後に2匹の獅子が28段、高さ10m余りのはしごを登りながら華麗に舞う「はしご登り」を演じる。以前は真っ暗な中に浮かび上がる獅子の姿に皆、興奮したという。現在は午前中の村廻りの後、午後からいくつかの舞が披露される。
そして最後は11月15日の紐解きの日に、その年、3、5、7歳の紐解きになる子供がいる家を回り、悪魔を祓う。北之幸谷の獅子舞は、地域の人々にとって無くてはならない大事な伝承であるとともに、大正時代から昭和時代初期頃には各地に出かけて興行する、高度な技能をもつ芸能としても名を馳せた。
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