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更新日:令和6(2024)年1月30日
ページ番号:314927
(りっしょうあんこくろん)
国宝(典籍)
昭和27年3月29日
市川市中山2-10-1(法華経寺)
日蓮が48歳の時、鎌倉幕府の前執権北条時頼に建白した『立正安国論』の控えの真筆である。縦29cm、全長15.98mに及び、厚手の楮を原料とした和紙の楮紙し36枚を継いでいるが、内1枚は筆が異なっている。これは、第24紙目が紛失したため、これを慶長6年(1601)11月6日に法華経寺14世日通上人が身延山久遠寺所蔵の自筆本から補写して挿入していることによる。
内容は当時の天災地変、飢饉、疫病の原因は人々が邪教を信じているためであるとして治国の大本を明らかにし、来世の衆生を救う正法は法華経以外になく、速やかに法華正法の信を立てなければ国内には叛逆、他国からは侵略の難を受けるのみならず、これを用いない為政者は早死するだろうということを、主人と旅人の問答形式で書いている。
奥書に「文応元年(1260)太歳庚申勘之、正嘉自始之、文応元年勘畢」と記し、次に予言が的中したことを追記した後に「文永6年(1269)太歳己巳12月8日写之」と執筆の年次を明らかにしている。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諌めたものなので、字体も略字を用いず楷書で書き、厳しい調子が全体にあふれている。このため、以後日蓮は次々と迫害を受けることとなる。
軸紙に正保3年(1646)8月朔日の本阿弥光甫の修補記がある。昭和60年度(1985)に全面的に改装された。
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