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更新日:令和6(2024)年3月15日

ページ番号:315370

内裏塚古墳

(だいりづかこふん)

内裏塚古墳

種別

国指定史跡

指定日

平成14年9月20日

所在地(所有者)

富津市二間塚1980ほか(富津市ほか)

概要

小糸川下流域の低地に所在する内裏塚古墳は、古墳時代中期(約1,600年前)の南関東地方最大の前方後円墳である。内裏塚古墳を擁する内裏塚古墳群は、大小30基以上の古墳で構成され、三条塚古墳、九条塚古墳、稲荷山古墳等、100mを超える古墳を含む南関東屈指の古墳群である。

内裏塚古墳は、墳丘長144m、後円部の径80m、高さ13m、前方部の幅90m、高さ11.5mであり、盾形の周溝が巡り、周溝を含めた全長は185mにもなる。墳丘は二段に構築され、葺石を持ち、前方部東側くびれ部寄りに造り出し状の張り出し部がある。墳丘上には3段に円筒埴輪列が巡り、列中に朝顔形埴輪や墳頂部に家形埴輪が存在したといわれる。明治39年(1906)には内務省の柴田常恵らによって発掘調査が行われ、後円部墳頂で墳丘主軸に平行する2基の石室が検出されている。

東側の「甲石室」は、長さ5.75m、幅0.75~0.88mで、2体の人骨と大刀5、剣2、小刀1、鎌、釿(ちょうな)3、鉄鏃、斧などが出土した。西側の「乙石室」は、長さ7.55m、幅1mで、鏡1、大刀5、剣1、矛1、金銅製胡籙金具(こんどうせいころくかなぐ)1、鹿角製鳴鏑(ろっかくせいなりかぶら)9、鉄鏃が出土した。出土品は、国立歴史民俗博物館に展示されている。

特に金銅製胡籙金具は、国内では福岡県吉井町月ノ岡古墳にしか類例がない特殊な形態のものであり、他の例は大韓民国の伽耶地域に出土例があるのみである。また、鹿角製鳴鏑は全長7.5cmの大型のものであり、他に類例をみない。

これらの遺物から内裏塚古墳の被葬者は、5世紀前半代に畿内政権とつながりをもった、有力な地方豪族であったことがうかがえる。

お問い合わせ

所属課室:教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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