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更新日:令和3(2021)年9月3日
ページ番号:315283
(しょにんごへんじ)
重要文化財(古文書)
昭和43年4月25日
松戸市平賀63(本土寺)
日蓮(1222~1282)は法華経の教えを説き、他宗派を激しく攻撃したため、秩序の破壊を恐れた鎌倉幕府により幾度かの弾圧を受けた。文永11年(1274)に佐渡配流から赦免された後は身延山に入り、書状によって弟子の指導、布教にあたっている。この御返書は、弘安元年(1278)に幕府が計画した日蓮と他宗派の宗論に際し、日蓮が信徒へ書き送った書状で、縦31.5cm長さ137cmである。内容は「三月十九日の和風並に飛鳥、同じき二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に所願、忽ちに成就せしむるか。将又、五五百歳の仏記、宛かも符契の如し。所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為らん。我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為らん、在家は左右の臣下に列ならん。将又、一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。弘安元年三月二十一日日蓮花押諸人御返事」とあり、真言・禅宗等に対して日蓮宗が勝利すること、仏教統一の理想を達成するため日蓮がこの宗論の計画を喜んで迎えることを述べており、信仰に対する揺るぎない自信を示している。
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