ここから本文です。
ホーム > 教育・文化・スポーツ > 歴史・文化 > 文化・文化財 > 文化財 > 市町村別の国・県指定および国登録文化財 > 印旛エリアの市町 > 佐倉市の国・県指定および国登録文化財 > 亀甲梅椿模様七条袈裟横被付
更新日:令和7(2025)年4月16日
ページ番号:706629
(きっこううめつばきもようしちじょうけさおうひつき)
県指定有形文化財(工芸品)
令和5年3月10日
佐倉市直弥38-1(宗教法人宝金剛寺)
天正18年(1590)に徳川家康から岩富一万石に封ぜられた北条氏勝(1559から1611年)が慶長13年(1608)に菩提寺である宝金剛寺に寄進し、牡丹蓮華唐草模様七条袈裟横被付とともに伝来した資料である。慶長13年の寄進は氏勝自身の罹病との関連が推測される。
亀甲梅椿模様七条袈裟および横被の表地に使われている銀襴の梅椿模様は定陵(明萬暦帝陵墓)の孝靖皇后(1563から1612年)棺内出土の染織品にも多く見られる。このことから、袈裟および横被の生地は明時代中期に中国で製作され、日本に舶載されたものと考えられる。特徴的なのは、本件に使用している銀欄は織物に多く使われる「平銀糸」ではなく、質感を重視した、より高価な「撚銀糸」である点である。
袈裟の縫製では、縫い代を全て縦の葉側に倒して厚みを待たせることで帖葉衣に擬している点、壇隔と横の葉の模様を連続させない点に中世の特徴が表れている。また、亀甲梅椿模様七条袈裟は、その仕立てを宝金剛寺に関わりのある4寺が分担したことを、表地と裏地の間に縫付けられた墨書紙片が示している。
このように、本件は銘文を伴っており、中近世移行期における千葉県域の政治的、宗教的な変動に関する歴史資料としても重要である。また、染織史においては製作年代や伝来の経緯が明らかであり、現存例の少ない近世初期以前の基準作になり得る貴重な資料である。
関連リンク
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください