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更新日:令和3(2021)年7月8日
ページ番号:21131
山頂や離島を除き、日本で一番早い初日の出を見ることができます
日本の渚百選に選出されています
日本の渚百選・日本の白砂青松百選に選出されています
日本の地質百選に選出されています
レンガ造りの建築物としては日本で2番目の高さを誇り、その光度(明るさ)は200万カンデラと日本一。明治から昭和終戦前までの間に造られた近代の遺産としてヘリテージング百選に選出されています
川面に架けられた橋としては日本一の長さを誇る
関東の駅百選に選出されています
旅客営業を行っている会社が所有している日本最小の電車
近代水道百選に選出されています
疎水百選に選出されています
日本最古の大学のひとつ
市 |
品名 |
県内順位 |
---|---|---|
銚子市 |
キャベツ |
1位 |
大根 |
1位 |
|
メロン |
1位 |
|
鶏卵 |
2位 |
|
とうもろこし |
2位 |
|
旭市 |
豚 |
1位 |
きゅうり |
1位 |
|
トマト |
1位 |
|
いちご |
1位 |
|
パセリ |
1位 |
|
しゅんぎく |
1位 |
|
米 |
2位 |
|
メロン |
2位 |
|
匝瑳市 |
庭園樹苗木 |
1位 |
肉用牛 |
3位 |
|
米 |
3位 |
平成18年~平成20年の3年連続で水揚げ量日本一
水揚げ量県内2位を誇る
水揚げ量全国2位
生産量全国1位
太さが日本一のごぼう
2007年の給食コンクールで野栄の給食センターが日本一に輝いた
栽培面積・栽培種類ともに全国有数
銘木数県内1位。千葉県が認定する植木百選に選ばれている全36本中20本が匝瑳市にある
伝統樹芸士数県内1位。千葉県が認定する伝統樹芸士全26名中13名が匝瑳市から選ばれている
銚子沖漁場で立縄漁業により1尾ずつ釣り上げられる。そのため、その魚体は美しく、築地等の卸売市場では他県産のものよりも高値で取引される。
漁業と醤油の町、銚子ならではの製品であり、乾燥と焼きの工程を加えることにより型崩れといわし特有の臭いを軽減し、現代の嗜好にあわせた薄味が特徴。
いわしの町として全国的にも有名な銚子ならではの製品であり、脂の乗ったマイワシを使用することはもちろんのこと、醤油、缶詰の缶、ラベルに至るまで千葉県産にこだわっている。
北は刑部岬から南は太東岬まで延長66kmの遠浅海岸。砂浜と防風林からなる雄大な景観を誇る。数多くのの海水浴場があり、釣り、貝拾い、地曳網、サーフィンなども楽しむことができる。
太平洋に突き出た周囲500mほどの台地で、北に白砂の君ヶ浜、南に巨岩の多い長崎海岸が広がる。周辺には文学碑が多く、白亜の灯台がそそり立つ。犬岩の伝説も残る。
海抜約50m程の断崖が約10km続き、太平洋の荒波と調和して雄大な眺望を誇る。東洋のドーバーといわれる。
東洋のドーバーといわれる屏風ヶ浦の南端にあり、九十九里浜との境となっている。激しい侵食により切り立った台地に灯台がある。
群馬県に端を発し、本県では県北の境界を流れ関宿分岐点から水郷を抜け太平洋に注ぐ約110kmの一級河川で、“板東太郎”といわれる。江戸時代には物資輸送に利用され、内陸水運の大動脈となった。
渡海神社の約10haの社叢。典型的海岸林のタブ林で、トベラ、ツバキ等が自生する。極相林の典型と認められ、植物生態学上貴重である。
スダジイ林、スギ植林などで構成されている、飯高神社周辺のスダジイ林は特に自然林のかたちがよく残されている。九十九里平野との境に近い洪積台地上にあり、谷津田に南面し、この水田には螢が多いことで知られている。
大同2年(807年)の創建と伝えられている。本殿は、三間社流造りで檜皮葺き。社殿を囲む森は、社叢として保護され、自然環境がよく保たれている。
創建、寺歴は不明だが、常世田の薬師様として信仰を集めた。本堂は江戸時代前期の密教系仏堂の代表例。本尊の薬師如来坐像は平安時代後期の作とされ、ふくよかな顔、流麗な衣丈など時代の作風をよく伝え、保存状態も極めてよい。
檀林とは僧の勉学の場で、天正8年(1580年)に創建され明治7年に廃檀となるまで多くの名僧を輩出した。講堂、鼓楼、鐘楼、総門等が建ち並び往時がしのばれる。森は深くスギの巨木が多数茂る。
ギリシャ正教会系の教会で、日本における女流洋画家の先覚の一人である「山下りん」が描いたイコン(聖画)10面があり、美術史上注目されている。りんは、浅井忠と共に絵画を学び、後にロシアに留学した。
幽学は、44才で房総に来遊し、旧長部村を中心に後半生を農民教育と農村改革に捧げた。林家住宅、門人であった林伴兵衛が幽学の設計、指導のもとに住宅を建築したもので大原幽学史跡公園内に移設し、復元された。
銚子市に生まれた詩人、作家で、自然主義文学の重鎮。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」等の著書がある。海鹿島海岸には、「なつかしきわが故郷は何処ぞや彼処にわれは山林の児なりき」と刻まれた文学碑がある。
銚子の愛宕山の山頂に、オープンした。情報センター、イベントホール、展望ラウンジを備え、屋上の展望台からは太平洋を望み、「地球の丸さ」を実感できる。
大正14年に濱口梧洞が私財を投じて建設した。開放式書庫をもつ図書館を併設し、市民の文化教育活動の源となった。昭和23年に市に寄付され、現在も公民館活動の拠点となっている。
創業大正12年。銚子駅から外川駅まで6,4kmを結び、駅は10駅ある。ローカル色豊かなミニ電車が6,4kmを21分かけてのどかに走り、観光客や鉄道マニアの人気が高い。
利根川の河口近く、銚子市と茨城県神栖市を結ぶ大橋。延長1,450m、幅員7mで、昭和37年に開通した。橋上からの利根川河口や太平洋の眺望がすばらしい。
1,600年代に外川漁港が築港されたが、これと同時に区画整理による街づくりも行われた。この区画整理の状況と石だたみの街路が残っている。
全国屈指の水揚量を誇る漁港であるとともに全国有数の漁業、水産加工、流通の総合漁業基地。主な魚種は、イワシ、サバ、サンマ、マグロ、カツオ等で、全国各地に送られる。
12年ごとの卯の年の10月5日に旭市三川海岸に渡御する。氏子が神幸の沿道の11の場所で大名行列、下座踊りをもって供奉する。
20年ごとの4月8日に、神輿、大名行列、剣舞、手踊り等2,000人以上の氏子が往復2泊3日をかけて銚子の外川浦までねり歩き、東大社(東庄町)、雷大神(旭市)、豊玉姫神社(香取市)の3社御浜降りの儀式が行われる。倉橋の弥勒三番叟(旭市)はこの際露払い役として供奉する。
毎年7月25日に行われる祭礼。その年育った若竹を各戸に飾り、日暮れに持ち寄って、しめ縄を張った境内で燃やし、五穀豊穣、無病息災、商売繁盛などを願う。約400年前から行われていると伝えられている。
毎年旧暦2・10・11月の10日と秋彼岸の明け日の4回行われる。衣川で討死した領主片岡次郎常春の供養に行ったのが始まりといわれる。8寺院輪番で、それぞれの季節の産物を供奉し饗応しあう。
元治元年(1864年)のいわしの大漁を祈った歌。出来てから100年以上たち、調子の良い響きや覚えやすい歌詞により全国的に知られている。
8月13日から4日間「権左が西国」・「庄八節」・「東上総」を演じ踊る。かつては、東総地方で盛んに行われていた極めて素朴な盆踊りであるが、今は八日市場に残るのみとなった。
毎年3月27、28日の鎌数伊勢大神宮の大祭に演じられる12座神楽。12の演目の他に、「幣束の舞」・「扇の舞」という2種の稚児舞が伝承されている。寛文年間(1661~73年)に始まると伝えられる。
氏子の若集によって毎年旧暦2月1日に奉納される。「オドウ」(当屋制)と呼ばれる決まった家からお練りの行列で神社に参進し、神楽殿で演じられる。建久年間(1190~99年)に始まるといわれ、13の演目から成り、その後湯立が行われる。
旧暦6月15日に川口神社などで大潮祭りが行われるが、これを発展させた祭りが銚子みなとまつりである。花火大会、やっぺおどり、みこしパレード等多彩な催しがある。
昭和29年から毎年8月6日から3日間行われ、市の中心街を七夕飾りで飾り、ミス七夕コンテスト、カーニバル等の催しがあり、延20万人の人出がある。
源頼朝が上総に上陸したとき、百本の矢を1里に1本ずつさし、旭市の矢指ヶ浦まで九十九本使い九十九里と称し、残り1本を多古町次浦に埋め矢指塚となったという。
本県の畜産部門での粗生産額は、全国第1位である。肉質は優良であり市場評価が高く、全国第5位の生産高である。
新鮮で味のよいとうもろこしが他県産地に先がけて。5月から出荷されている。生産量は北海道に次いで多い。
総頭数に閉める乳用種の割合は約80%であり、乳用雄牛を主体として良質牛肉を生産している。
温暖な気候を生かし、大規模な温室団地を中心に良品質なものが生産され、全国有数の生産を占める。野菜農家の重要部門となっている。
九十九里地帯に古くから産地が形成され、特に造形物は生産量が多く、全国的にも評価が高い。
昭和28年に試作されて以来30年の歴史を持つ産地であり、首都圏を中心に出荷されている。暖地を利用した春キャベツは全国第1位の生産を誇る。
大浦地区だけで栽培され、直径15cm長さ1mにも及ぶ特大のごぼう。成田山の奉納ごぼうとして知られる。全国から参詣に来る信徒に精進料理として使われる。
海水が混るため、大つぶで味がよい。かつては全国生産量の5割以上を占めていたが、治水対策等のため建設された河口堰により、減少したものの今でも全国有数の生産量を誇っている。
さんまは北太平洋沿岸で取れ、県内ではほとんどを銚子港に水揚げされ、全国有数の漁獲量を誇る。このさんまを原料とした、干物やかん詰が生産されている。押しずしは背開きして塩でしめたさんまにご飯をつめ、押しをしたもので、地元では正月に欠かせない料理。
東北地方から九州までの沿岸や河口域に広く分布し、高級魚として珍重されている。全長5~6cm位の無色半透明な魚でゆでると白色になる。生のしら魚をそのまま、又はてんぷら、椀物、酢のものなどで食する。
へら鮒用の浮きは、江戸時代以来の伝統があるが、孔雀の羽を使用する等様々な工夫がなされている。
江戸時代から続いた豊漁を祝う晴着「万祝着」の染色技術を継承し、綿布にもち米の糊で文字や絵を描き染色する。祝い用として人気が高い。
素材から製品まで一環した手作りで、特に、手巻、手編込という技術を用いて籐製品を製作している。
糸に5倍のヨリをかけて織るもので、縞・格子縞が多い。ちぢみ独自の肌ざわりのよさが特徴。江戸時代、漁師の妻達が生計の一助に始めたのが起源という。
醸造技術、気候風土、伝統とすべてにおいて、全国でトップレベル。千葉県で全国生産量の3分の1を生産し、全国1位。海外にも輸出している。県内2大生産地は銚子と野田で、製造業者は、北総、東葛を中心に60数社にも及ぶ。
かつおは、太平洋を大回遊し、房総沖では新緑のころ北上し、秋季に南下する。角煮は、さいころ状に切ったものを醤油で煮たもの。なまり節は、かつお節にする課程で焙乾を一回行ったもの。
さばの県内生産量はいわしに次いで多く、特に冬期に収穫されるさばは油ののりがよく、寒サバとして需要が多い。また、加工品は安価な割には美味であり、消費者に好まれている。
一富士、二鷹、三なすびの故事から命名された菓子。秋茄子を砂糖汁で何度も煮た後、更に砂糖づけにしたもの。
鴨を使った野趣豊かな料理。すき焼き、鉄板焼、串焼き、もつの煮物などがある。
ふかした里いもをついて作ったもち。回りを焼いて大根おろしをつけて、できたてを食べる。昔、7歳の子どもの祝いに使われた。
ツノマタ(海草)を塩、醤油、水で煮固めたもので、正月には欠かせない料理。
種もみした残りを利用したおやつ。発芽した種もみを蒸し、乾燥させ、精米機でついてもみがらを取り、ほうろくで炒り砂糖と醤油で飴状にした中に入れ混ぜ合わせる。揚げあられや落花生を入れたり水飴を加えてもよい。
鎌数にある伊勢大神宮は干潟八万石の大業完成記念として寛文12年に伊勢皇大神宮より御分霊をうつして干潟の総鎮守産土神として祭った神宮です。ここで行われる神楽は昭和40年に千葉県無形民族文化財に指定されています。
常世田薬師の名で親しまれる木造薬師如来像は目の病にご利益があるとされ、人々に篤く信仰されています。
粟島台遺跡は今から約5000年ほど前の縄文時代を中心とした遺跡です。遺跡からは多くの琥珀製品が見つかることから工房のようなものがあり、各地へ供給していたのではないかと考えられています。
財団法人八石性理学会によって管理されていた大原幽学の遺跡と大量の資料が、昭和61年に干潟町(当時・現旭市)へ寄贈されました。現在では、大原幽学記念館において当時の貴重な資料を見ることができます。
天正元年(1573)、要行院日統が匝瑳市飯塚の光福寺に学室を開いたことが檀林の前身とされています。後に京都から教蔵院日生を招いて、天正7年(1579)、土地の有力者平山刑部の後援をえて、学室を当地の妙福寺に移しました。これが飯高檀林の発祥で、僧侶の教育と宗学を研究し、きわめることを目的として開設され、翌年(1580)には現在の土地に移されました。
犬吠埼には白亜紀の地層があり、当時の浅い海に堆積した化石などが豊富に見られます。この地層自体も浅い海に堆積した地層の典型として貴重なものです。また、この地層から保存状態が良好な異常巻アンモナイトと呼ばれる化石が見つかっています。
猿田神社の森は、JR総武本線猿田駅近くにあり、高さ10メートルほどの台地上に位置し、社殿を取り囲んでスダジイの優占する学術的にも貴重な極相林です。
銚子から飯岡町刑部岬(ぎょうぶみさき)まで、延々10キロにわたる海岸の絶壁(海抜40~50m)は、英仏海峡のドーバーの「白い壁」に匹敵するといわれ、荒削りで雄大なスケールは、素晴らしい眺望です。
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